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●長野県の戸隠にそば屋が多い理由は、修験者の修行の名残
険しい山が無いと修行には適していないと
戸隠は修験者たちがたくさん集まる場所だった
修行中の修験者は、五穀断ちという食べるものが限られる
米、麦、豆、きび、あわの五穀
そばは食べても大丈夫だったため修験者は、
そばを食べながら修行を続けた
当時は、そばの実と水を混ぜて捏ねた物を食べていた
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関東中心にのれん分けされたそば屋
創業400年の老舗、砂場総本家:荒川区
そばの実の中心から挽いた一番粉、
二番粉を合わせた白く細めのそばは、喉越しがウリ
●砂場総本家の砂場の由来
1583年、豊臣秀吉が大阪城建設の際に
使用した大量の砂や砂利を置く場所を砂場と呼んだ
その砂場の土地にそば屋が建てられたことから
「砂場のそば」と呼ぶようになった
その後、江戸時代に大阪から東京に移転し現在に至る