爆報!THEフライデーで紹介
●伝説のアイドル:高橋良明
1985年、12歳で子役デビュー
1985年、田村正和主演「うちの子にかぎって…2」に出演
クラスのムードメーカーを演じ、世間から注目を浴びる
スペシャルでは主役級に抜擢
1987年、「オヨビでない奴!」で植木等・所ジョージと並んで主演に抜擢
植木等2世、所ジョージ2世と称された
さらに1987年、14歳の時、「天使の反乱」で歌手デビュー
計6枚のシングルを発表し売り上げはおよそ100万枚
1989年1月23日、大河ドラマ「春日局」を終えたばかり…バイク事故にて死去
告別式に集まったファンは5000人、追悼集会には1万5000人
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●伝説のアイドル:高橋良明のバイク事故死の真相
1989年1月5日、夜8時過ぎ、レンタルビデオ店へ外出
高橋は無免許でバイクを運転、道路を横断しようとしていた女子中学生と接触
少女は骨折で全治2ヵ月、幸いにも命に別状はなかった
しかし高橋は意識不明の重体だった
病院に駆け付けた母は、変わり果てた息子の姿に愕然とする
顔はバスケットボールほどに膨れ上がり、愛する息子の面影は無くなっていた
意識不明のまま4日間…
5日目の朝、奇跡的に意識が回復
そして診断結果は全治3ヵ月、命に別状はなく安静にしていれば回復する見込み
翌日には日常会話ができるまで回復していた
この日、病院の不可解な対応を目の当たりにする
別の患者の点滴…看護師は「中身は同じだから」とそのまま使用した
入院10日目、回復すると言われた高橋が暴れ出し、体中の痛みを訴え出した
病院の対応は、暴れると治療が出来ないと両手両足をベッドに縛り付け痛み止めを打つだけだった
日が経つにつれ頭の痛みを訴えていたため、母は検査の依頼をお願いしたが、病院は最後まで脳の検査をしなかった
そして1月23日、ついに高橋の容態が急変
持ち込まれた医療機器は壊れており動かなかった
通常なら入院時に調べるはずの血液の適合性を、一刻を争う緊急手術で初めて行われた
1月23日午前2時46分、高橋良明は息を引き取った
このニュースに当時のマスコミは医療ミスを疑い、母も取材に協力、病院の実情を訴えた
これに対し病院側は「最善は尽くした」と主張
病院が週刊誌にその実態を報道された事に対し、名誉棄損で高橋家を訴えた
裁判の結果、高橋家側の勝訴
そして高橋良明は別の病院で解剖され、家族に本当の死因が告げられる
死因は小脳のくも膜下出血、ならびに中脳出血
2008年10月、弟;知秀が事故により意識不明の重体
一命は取り留めたものの脳に障害が残ってしまった
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