人生の正解TVで紹介
●大原麗子の孤独死の真実
2009年8月、大原麗子が突然の孤独死
麗子が自宅を3億円で購入したのは38歳の時
以来、25年間1人で暮らしていた
●渡瀬恒彦への想い
華やかで可憐、誰をも虜にした女優:大原麗子
1969年、女優デビュー4年目に渡瀬恒彦と出会い、恋に落ちる
渡瀬恒彦とのきっかけは麗子の一目惚れ
1970年、映画「三匹の牝蜂」で初共演
大原麗子は主演を務める東映の看板女優
一方の渡瀬恒彦は2年目の新人
当時の麗子は渡瀬の為に汚れ役も進んで引き受けたという
2人は結婚した、子供は2、3人欲しいと語っていた麗子
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●子宮外妊娠
麗子はお腹に激しい痛みを訴え、緊急入院
原因は子宮外妊娠だった
本来子宮にできる子供が左の卵管にできてしまう
それは母子ともに生命の危機を意味していた
子供は救えなく麗子も出血が多く、生死をさまよった
同じ血液型だった渡瀬は自ら輸血役を買って出る
麗子は何とか一命を取り留めた
当時、子宮外妊娠ではなく盲腸と報道された
結婚で新たな魅力を増した麗子に仕事のオファーが殺到
妻と女優、二足のわらじを履いた彼女は一層の輝きを増す
だが女優として脂が乗り始めた結婚3年目…麗子は人生最大の選択を迫られる
京都で1年間かかるであろうテレビシリーズの撮影が決まった渡瀬
一緒に来てくれないか?と麗子に迫った
東京に残り女優を続けるか?京都に行って家庭に入るか?麗子は葛藤した
悩んだ末、麗子が下した結論は、女優を続ける事だった
京都と東京、2年に及ぶ別居生活…徐々に深まる夫婦の溝
結婚5年目(1978年)、ついに離婚
大原麗子はその悲しみを振り払うように一層演技の世界へのめり込む
●整形の失敗
華麗で美しく、それが彼女に求められてきた女優像
年齢を重ねても麗子はそのイメージにこだわった
50歳を超えた麗子に主役のオファーは激減
大原麗子を襲う「老い」という現実
年老いていく恐怖によって麗子は整形手術を試みる
麗子は右目を二重にする手術を受けたが、まさかの失敗
顔は腫れあがり決まっていた主演映画も降板
これを機に仕事はほとんど無くなった
整形直後の4年間、収入はほぼゼロ
事務所も赤字を抱え、残ったのは大原麗子ただ一人
それでも主役にこだわり、仕事を選び続けたその結果…
蓄えたお金もやがて底を尽く
●ギランバレー症候群の再発
結婚時代に発症したギランバレー症候群が再発
運動神経が麻痺してしまうこの病は彼女から身体の自由までも奪ってしまった
やがて麗子は躁鬱を患い、複数の薬を服用する事になる
体も心も壊れていった…繰り返される友人、仕事仲間への悪態
2009年8月、麗子は寝室で息を引き取った
死因は不整脈による脳内出血、死後3日経っての発見だった
●スピリチュアルメッセンジャー:上地一美によると
「私は孤独死じゃない」というプライドを持っていた
穏やかな亡くなり方をされてる、苦しんではいない
心残りは渡瀬恒彦のことだけ
去っていく時も命の火が消える前に渡瀬さんを見ています
一度でいいから会いたかったようです
●渡瀬恒彦への想い
自らの死を予感した大原麗子は渡瀬恒彦への想いをスクラップに書き綴った
18歳のデビュー以来、45年間大原麗子を演じてきた彼女が、唯一普通の女性に戻れるたった一人の相手
“離婚後吹っ切れた様子 そんなの嘘、心はまだ吹っ切っていない”
“断腸の想いで渡瀬とは私は決意したんです”
“今はすごーい、友情、親友”
そして最後に渡瀬恒彦への想いをこう締め括った“渡瀬麗子”
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