行列のできる法律相談所で紹介
●大ゲンカして「ずうとるび」を辞めた山田隆夫
座布団運び歴29年で横浜に4階建て豪邸を建築
実は14歳の頃から笑点のちびっこ大喜利コーナーに出演
そこで座布団10枚集めたご褒美として
山田がリーダーとなり、ちびっこ大喜利メンバー4人で結成したのが、
1974年にデビューした「ずうとるび」
「♪みかん色の恋」が大ヒット
当時はレギュラー番組10本
プロマイドの月間売上枚数は7か月連続1位を獲得
その間、2位は西城秀樹、3位は郷ひろみだった
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しかし、そんな人気絶頂期にメンバー内で方向性の違いから対立が生まれていた
特に山田と江藤博利は犬猿の仲
リーダーの山田はクレイジーキャッツのような笑いもできるコミックバンドを目指していたが、
江藤はフィンガー5のように踊って歌うアイドルを目指していた
2人の対立が激化したのは1975年に初出場した紅白歌合戦
歌うのが当然、大ヒットした「みかん色の恋」だと思われていたが、
歌ったのは山田のソロ曲「♪初恋の絵日記」
江藤たち3人はコーラスを担当
晴れ舞台で一人目立つ山田に対し、江藤はかなり怒っていた
そして山田が「ペチャパイブギ」という歌を完成させた時、2人の関係は最悪に
当時のメンバー今村によれば「ペチャパイブギなんてやれないよ」と江藤が意見を言いはじめた
メンバーの不仲を心配した事務所の提案で4人の話し合いの場が設けられた
「山田君が曲を作ったり詞を書くのはもう辞めてくれないか。あとリーダーも辞めて欲しい」
江藤はリーダー辞任を要求
これに対し山田は「わかった、俺はずうとるびを卒業するよ」
あっさりとグループから脱退を宣言
1977年、紅白歌のベストテンで、山田はずうとるびを脱退した
その後、メンバーと話す機会はほとんどなかったが、
2012年6月、山田隆夫の芸能生活45周年記念パーティーに仲の悪かった江藤が駆けつけ、2人は久しぶりに再会
しかしそこでも主役の山田を差し置いて江藤が喋り倒して険悪に…
2人の中は未だ修復されていない
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