伝説の引退で紹介
怪物:江川卓の引退の真実
江川の引退には多くの謎があった
高校時代、作新学園のエースとしてノーヒットノーラン12回、完全試合2回
進学した法政大学でもリーグ4連覇に貢献
1978年、空白の一日、ドラフト前日に巨人と電撃契約
江川は一旦、阪神に入団した後、小林繁投手とトレードで巨人に入団した
2年目には16勝12敗
3年目には20勝6敗、4年目、19勝12敗、5年目、16勝9敗、6年目、15勝5敗
7年目を迎えた江川の身体にある異変が生じていた
それは右肩の痛み…
高校時代から10年以上、剛速球を投げ続けた右肩がついに悲鳴をあげた
様々な治療を試みた、そして辿り着いたのが中国針だった
患部に刺すと手先は痺れ、その日は投げられる
治療の事は周囲に隠しながら江川は投げ続けた
勝ち星は肩の痛みに襲われてからも毎年二桁をマークした
7年目、11勝7敗、8年目、16勝6敗
だが寝ていると激痛が襲う
そんな夜が日に日に多くなっていた
そんな不安の中で9年目のシーズンを迎えた
江川には翌年まで現役を続けたい理由があった
それは翌年にオープンする東京ドームで投げる事
しかし肩の状態は悪化する一方
針治療の頻度は格段に増えていた
後に巨人のエースとなる2年目の桑田真澄は前半戦、江川の9勝を上まる12勝を叩きだしていた
肩の痛みで本来のピッチングが出来ない江川には桑田がまぶしく見えた
実は江川は妻に覚悟を伝えていた「もしかしたら今年で辞めるかも」
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1987年9月20日、巨人vs広島
優勝を争う相手に江川が先発
江川はピッチング練習の時からいつもとは違う感触を感じていた
数年来、悩み続けた右肩の痛みを、この日は全く感じなかった
「全く痛みがなくて、これで勝ったらもう1年やれる」と感じた
この試合、江川は8回を終え3安打1失点のみ
そして巨人1点リードで迎えた最終回
この時、江川は自らにあるハードルを課して臨んだ
“すべてストレートで抑えてみせる”
1人目は正田耕三でサードライナーで1アウト
2人目は代打 長内孝は三振
3人目 高橋慶彦
平凡なセカンドゴロ…これでゲームセット
誰もがそう思った
セカンドの守備範囲と思われた打球をファースト中畑が飛び出しキャッチ
そのままベースカバーに入った江川に送球したが、ボールが反れ内野安打になってしまった
2アウト、ランナー1塁、バッターは小早川毅彦
江川はランナーを気にすることなくストレート勝負
そして2ストライクと追い込んだ、勝負球はインハイのストレート
「今の自分が通用するかどうか最後に試したかった。通用しないんだったら辞める」
覚悟を決め、小早川に投じた5球目だった
結果はサヨナラ2ランホームラン
キャッチャーの山倉はアウトコースに構えている
投げられる最高のボールをスタンドに運ばれた
江川はしばらく立ち上がる事ができなかった
その帰りのバスで江川はチームメイトの前で泣いた…
その後、江川は3試合に登板、13勝5敗で9年目のシーズンを終えた
1987年11月12日、現役引退を発表
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