中居正広の怪しい噂の図書館で紹介
爆笑問題と太田光代社長の怪しい噂
●実は太田光代は元々爆笑問題より売れている芸人だった
太田光代は小森のおばちゃま、楠田枝里子などのモノマネをしていた芸人だった
ライブのネタ作りのため光代の家に芸人たちが集まっていた
もちろん太田も同席
朝方になってネタ作りは終了し、芸人は帰っていった
しかし何故か居残る太田
●爆笑問題 太田は初めて光代の家に行った日から同棲を始め、今日までずっと一緒に暮らしている
当時の所属事務所の同期である松村邦洋によると
みんなで光代の家に泊まってコントの練習してお酒飲んで朝方帰る
松村は財布を置き忘れたので、取りに戻った
なぜか分からないんですけど「ご飯でも食べていけば?」と言われたのでご飯をご馳走になった
3時間くらい居たんだが、その間、爆笑問題 太田がベッドの下に隠れていた
出会ったその日から同棲を始めた2人は1年後に結婚
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極貧生活時代
デビューして間もなく太田の存在はほかの芸人から一目置かれていた
尖ってイケイケだった爆笑問題は調子に乗って所属事務所から独立
光代もタレントの仕事をセーブして、夫をアシストする
しかし、仕事の依頼が全く来ない
この日から想像を絶する極貧生活が始まった
●どんなに生活が苦しくても太田は今までアルバイトをしたことがない
田中いわく「社会人として不適合」
お金の計算が一切できない
足し算・引き算が出来ない
世の中で接客やお金扱わない仕事は芸能人のような仕事しかない
仕事がなく一番辛い時代の支え続けた光代は夫を元気づけるためにあることをしていた
●太田と光代は稼げない頃、夫婦でかくれんぼして遊んでいた
当時住んでいたのが、平屋の木造造りだった
隠れる場所がいっぱいあり、光代は隠れるのが上手かった
見つからない、何処にもいない、探す太田は「出て行っちゃったかな」と思って降参する
すると上から「ハッハッハッ、トイレだよ」
トイレを開けてもいない
上から「ハッハッハッ」と笑い声がした、パッと見たら光代は天井に張り付いていた
その間、田中は草野球に没頭
仕事の無い不遇の時代が3年目に突入
それでもネタ作りだけは欠かさなかった
漫才師として初、NHK新人演芸大賞 受賞
光代はモノマネタレントの仕事を廃業し、経営の仕事をひたすら読み漁った
会社名は太田が大好きなSF小説「タイタンの妖女」のタイトルから名付けた
1993年11月、新事務所タイタン設立
光代社長がとった秘策は単独ライブの開催
ネタの面白さには絶対の自信がある
テレビ関係者を招待した結果、仕事が舞い込んだ
光代の売り込みが功をそうし、再び仕事の依頼が増え始めた
1994年「GAHAHAキング爆笑王決定戦」
芸歴6年目なのに新人コンテストに参加し、10週勝ち抜いた
そして「ボキャブラ天国」
●再ブレイクのきっかけになった「ボキャブラ天国」のネタは田中が考えていた
爆笑問題のネタはすべて太田が担当していた
しかし、太田にはダジャレの才能がないので、「ボキャブラ天国」だけ田中が考えていたと云う
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読書家だった太田には幼き頃からの夢があった
それは小説を書くこと
仕事のちょっとした休憩時間や、休日を利用してコツコツと書き溜めた
2010年10月、「マボロシの鳥」で念願の小説家デビュー
●太田は光代から映画脚本の執筆を依頼されていたのに小説を書いてしまった
光代は経営者として映画製作の準備を進めていた
SF小説を愛する太田が書いた9つの短編集
架空の街が舞台だったり、悪魔が登場したり、映像化するにはかなり困難な難しそうなファンタジックな内容の作品に仕上がっている
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