爆報!THEフライデーで紹介
●淡路恵子の華やかな女優人生の裏側
・昭和の芸能史に残る世紀の結婚
淡路恵子 本名:井田綾子
1933年7月17日、東京生まれ
幼少時代は空襲を経験し強くたくましく育つ
15歳の時にレビューを見て舞台に憧れる
1948年、SKDの養成学校(松竹音楽舞踏学校)に入学
その翌年、黒澤明監督に見いだされ映画「野良犬」でデビュー
21歳になると「トリコの橋」でハリウッド進出
一躍映画スターの仲間入りを果たした
1966年、昭和の大スター:萬屋錦之介と結婚
プロポーズは「子ども2人連れて来てくれ」
この時、淡路には20歳で国際結婚した2人の連れ子がいた
女優引退、淡路は受有としての自分を捨て、夫を支える人生を選んだ
錦之介の舞台のチケットを空席が出ないよう手売りして歩いた
その枚数はひとつの公演で約1万枚
公演が終わったら手書きでお礼状を書いた
1967年、三男:晃広出産
1974年、四男:哲史出産
夫:萬屋錦之介の会社:中村プロが倒産
負債額は13億円
それまで住んでいた豪邸を売却
それまで貯めた貯金もすべて消えた
さらに錦之介が突然の病に…病名は「重症筋無力症」
筋肉への神経が障害を起こし全身の筋肉が動かなくなる難病
さらに夫の代わりに家族を守るため、合間をぬって仕事を始める
その仕事は六本木にあったクラブ:シナーラのママ
元女優の転落
そして淡路の献身的な看護もあり金之助は奇跡的に回復
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その後、信じられないスキャンダルが世間をにぎわす
萬屋錦之介浮気報道
しかも淡路の友人と同棲中と言う衝撃の内容だった
1987年、離婚
4人の子供たちは全て淡路が引き取り、慰謝料は1円も貰わなかった
離婚後、連れ後だった2人の子供は成人して独立
20年ぶりの女優復帰は「男はつらいよ」
三男:晃広が山田洋二監督作品「ダウンタウン・ヒーローズ」に出演
1990年、三男:晃広が原宿の交差点で事故死
遺体の前で3年ぶりに元夫:萬屋錦之介と再会
当時、四男:哲史は両親の離婚、兄の死を境に荒れ始めた
成人を迎えてもろくに働かず、アルコールに依存する毎日だった
酔うと淡路に罵声を浴びせる日々、時には暴力をふるうことさえあったという
「このままでは息子がダメになる」と哲史にひとり暮らしをさせることを決意
自分の力で人生を生きる厳しさを学ばせようとした
ある日、地方にいた時、警察から連絡が入った
四男:哲史が淡路の自宅に侵入、盗みを働いたと云う
30歳になりアルコール依存だけでなく睡眠薬を多量に摂取していた哲史
薬&酒代欲しさに盗みに入った
そんな哲史に対し、淡路は苦渋の決断を下す
2004年、息子を告訴
社会的制裁を与えることが母としてできる最良の教育と考えた
その結果、哲史には6か月の実刑が下った
出所後、哲史はアルコール&薬を断ち、仕事をはじめ更生の道を歩み始めた
2010年、四男:哲史が死亡
自ら命を断ったその部屋にはアルコールと睡眠薬が大量に残されていたと云う
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今日は よろしくお願いしますね^^すごいですね^^
投稿情報: マルベリー バッグ | 2013/04/15 16:56