ファミ☆ピョンで紹介
名古屋メシグルメツアー
森公美子オススメの「ひつまぶし」
・あつた蓬莱軒:名古屋市熱田区神宮2-10-26
ひつまぶしの発祥のお店
「ひつまぶし」2730円
脂が滴り落ちる愛知県三河産のうなぎ
138年もの間、つぎ足された秘伝のタレ
うなぎを細かく刻み、たっぷりご飯の上にのせる
4等分し茶碗によそい、1膳目はそのまま頂き、2杯目は約身をのせてそのまま頂く
3杯目は薬味をのせダシをかけて頂く
4杯目は1番気に入った食べ方で頂く
ひつまぶしのルーツは明治6年創業の名古屋蓬莱軒の2代目鈴木甚三郎が考案した
当時、うなぎ屋として大繁盛していた蓬莱軒に一人の女性が女中として働いていた
彼女の名はお梅
10歳の頃から蓬莱軒で奉公していたお梅は常連客の好みから癖まで店の事なら何でも知りつくす生き字引的存在
熱田神宮の傍と云う場所柄から当時は周りにたくさんのお茶屋があり、店には連日うなぎの注文が殺到
この出前にはひとつ問題があった
配達係の店員がうなぎの器を引きあげて帰る際、あまりの忙しさに大切な店の器を割ってしまう
何度も器を割る店員に腹を立てていたのがひつまぶしの生みの親、2代目鈴木甚三郎
そんな主人を見かねて一計を案じたのがお梅だった
「そんなに怒るんでしたら割れない器を考えたらどうです?」
お梅の何気ない言葉に3日3晩考えた甚三郎は割れない木製の器を考案
それが「ひつまぶし」の「ひつ」の由来となる「おひつ」
このおひつを客に出したところ、苦情が殺到
当初作られたおひつは1度に何人前も運べるように非常に大きく5、6人分のご飯をよそい、その上にうなぎを乗せていた
ところが実際に取り分けると、どうしてもうなぎとご飯のバランスがとれず、酷い時にはご飯しか残らない時も
これに困ったのが甚三郎
1人前の小さなおひつを作るにはまた金がかかってしまう
またもや名案を思い付いたのがお梅だった
「うなぎを細かく切ってご飯に乗せれば全員に行き渡るし、ご飯が残ることはないのでは?」
細かく切ったうなぎをご飯に絡めるこの食べ方はすぐに蓬莱軒の名物となった
「おひつにうなぎをまぶす」ことから「ひつまぶし」と呼ばれるようになっていった
さらにその後、お茶漬け好きの名古屋の食文化と融合し、最後にダシ汁をかけて頂く現代のスタイルを確立
そんなお梅を心良く思っていなかった甚三郎の娘は、甚三郎の他界のあと、お梅を解雇する
その後、お梅は養子をもらったが、早くに養子も不慮の事故で亡くなり、今から40年前に誰にも看取られずに独りで亡くなった
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