解禁!暴露ナイトで月刊「創」の編集長:篠田博之が宅間守の獄中結婚について語った
●無差別殺人犯 宅間守の獄中結婚の裏側
日本犯罪史上最も凶器な無差別殺人:大阪教育大学付属池田小事件
2001年、大阪教育大学付属 池田小学校で起きた無差別事件
児童8人が殺害され、児童13人教師2人が重軽傷を負った
元死刑囚:宅間守(当時37歳)は死刑を望み、1年と云う早さで刑が執行された
その1年の間に宅間は獄中結婚をしていた
実は2人の女性が宅間との結婚を望んだ
事件発生後、2人の女性が宅間の妻の座を巡り争った
●宅間守の知られざる素顔
「社会に対する復讐」と云う目的意識がはっきりしている事件
自分が社会に疎外され、復讐して自分は死にたい…
「エリートの卵」の池田小学校を選び、社会に対する憎悪で大量虐殺に及んだ
●無差別殺人を行った時の心情を綴った恐怖の手紙
死刑判決を受けた1ヶ月後、自らの弁護士へ宅間守自身が書いた手紙
“無差別殺人より、自らもその場で死ぬ無差別殺人の方が大量に殺せるのです。無差別殺人は何も包丁だけではありません。私は我が国においてダイナマイトは簡単に手に入らない、ピストルも威力はないし、簡単に手に入らない、猟銃も簡単に手に入らない。私は我が国で簡単に手に入り、しかも威力が絶大で大量殺人が可能な物は一にも二にもガソリンだと思っております。~中略~やはり大量に殺すにはガソリンだ。ガソリンだ。ガソリンだ。”
宅間は「ガソリンを使うともっと殺せた」と云う反省をしている
●2人から求婚!獄中結婚の真実
弁護士経由で宅間の下に手紙がいっぱい送られてきた
7割は「早く死ね」と云う否定的な手紙だったが、3割の手紙は「私も一歩間違えていたら宅間さんになっていたかもしれない」と云う肯定的な内容だった
Aさんは小学校の時にイジメにあっていた事で宅間にシンパシーを感じた
傍聴に通い、差し入れをしたりして、「結婚したい」と云う手紙を出した
実際に結婚したBさんはクリスチャンで博愛主義
「自分が宅間さんを何とかしたい」と結婚した
マスコミの取材は一切応じなかったが、Bさんは宅間が亡くなった時にメッセージを発した
「私の力足らずで彼を最後まで説得できず謝らせることができませんでした…」