●日本マクドナルドの栄光と没落
創業者の藤田田は、セルフサービス、マニュアル普及、
従業員教育、全国均一メニューを導入し、日本に根付かせた
バブル崩壊でマクドナルドは安売り路線、
店舗拡充に舵を切り、一気に売上を上げた
2001年、BSE問題により創業以来の初の赤字、
2002年には建て直せず最終赤字になり藤田氏は経営から身を引いた
2004年、元アップル日本法人社長 兼 アップル副社長の原田泳幸氏が社長に就任
2年連続の赤字をV字回復させた
2004年、メイド・フォー・ユー(作り置きしない)をほぼ全店舗導入
2005年:100円マック導入、2006年:えびフィレオ、2007年:メガマック、
2008年:プレミアムローストコーヒー、2009年:クォーターパウンダー
目玉商品で客を引き付けて高な級商品をついで買いしてもらう戦略が
成功し、客数も増え客単価も増えた
その他にも、24時間営業を推進、メニュー表を無くし回転率を上げ、地域別価格を導入した
2010年、433店舗を戦略的閉店
直営店を急激にフランチャイズ化したため、本社規模を縮小、大規模なリストラを断行し、人材が流出した
2013年、サラ・カサノバが社長に就任
彼女が行った戦略は、全店禁煙化、デリバリー
2014年の中国鶏肉偽装問題、2015年の相次ぐ異物混入により客足が遠のき、
380億円の最終赤字となった
●サラ・カサノバとは?
1965年、カナダに生まれる
1991年、マクドナルド カナダに入社
2004年、日本マクドナルドでマーケティング担当役員として働く
シンガポール、マレーシア、ロシアなど6カ国のマクドナルドを経験
2007年、メガマックの開発に携わった
2013年、日本マクドナルド社長に就任
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