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1995年3月20日、東京は無差別テロに襲われた
地下鉄にばらまかれたのは毒ガス:サリン
麻原彰晃、本名:松本智津夫を教祖とする宗教団体:オウム真理教が起こした毒ガステロ
多くの罪のない人々が猛毒ガスに倒れた
現場の霞が関周辺は、類を見ない混乱状態に
乗客 駅員ら合わせ、13人が死亡、負傷者数は6300人
●日本初の無差別テロ 地下鉄サリン事件でサリンに立ち向かった男たち
1995年3月20日 午前8時、東京都内の地下鉄車内で透明な液体が染み出ていた
甚大な被害の裏側で1つ大きな問題が生じた
それはサリンに汚染された車両の除染
都内の主要な交通であった電車が麻痺状態
サリンに汚染された車両の除染は急務とされていた
東京中が混乱が陥る中、除染作業を遂行したのが、陸上自衛隊
市谷に拠点を構えていた第32普通科連隊が除染任務を請け負った
陣頭指揮を執ったのは、当時の連隊長:福山隆氏
「32連隊長は都内の毒物を探知し、これを除去せよ」と命令が下る
電車内の汚染状況は行ってみなければ分からない
一歩間違えれば命を落としかねない危険な状況
32連隊は、サリン除染の準備を始めた
しかし32連隊は、サリンなどの薬物に対する知識が全くない素人
そこで福山は、大宮の化学部隊を32連隊に編成する事に
隊員に薬物の知識を教える事でサリン除染を可能にしようとした
救助のプロフェッショナルと化学兵器のプロフェッショナルが
手を組む事こそ、毒ガステロに立ち向かう唯一無二の作戦だった
隊員たちは現場に到着し、サリンから身を守るガスマスクを装着
防護服や中和する薬剤の入ったボンベを背負いながらの作業
車内では猛毒ガスの検査紙を取り出す
有毒ガスを検知し、褐色に変色した
命を落としかねない危険な状況下で除染作業は進められていった
サリンを中和するのは苛性ソーダと呼ばれる薬品
隊員総出でサリンを一滴も残さぬよう水で洗浄
除染は混迷を極め、約10時間、深夜2時まで作業は続けられた
そしてサリンの除染を完璧に遂行した
駅員に「大丈夫なのか?」と尋ねられた中村隊員は、
ガスマスクを自ら外してみせた
「安心してください。この通りもう大丈夫ですよ」
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