奇跡体験!アンビリバボーで紹介
●渋谷で180発もの銃弾が飛び交った少年ライフル魔事件
1965年7月29日、神奈川県大和署に通報が入った
「林の中で子供が空気銃を撃って遊んでいる。危ないから止めさせてほしい」
通報で伝えられた林に警官が到着
そこにいたのは、少年K
警官が話しかけるや否や男は新聞紙で包んでいたライフル銃を発砲
弾丸は警官の胸を撃ち抜いた
さらに男は抵抗する警官を何度も殴り、拳銃を奪った
男の目的は、拳銃を手に入れること
そのため自ら通報し警官を林におびき寄せた
瀕死の重体だった警官から制服を奪い、逃走を図ろうとしたその時、
偶然、近くをパトロール中だった警官が2人、現場の様子を見にやって来た
焦った男は突然、そのうちの1人を銃撃し、もう一人が緊急事態として大和署に連絡
それを受け、神奈川県警が緊急捜査本部を設置した
1947年、兄と姉2人の四人兄弟の末っ子として生まれたK
おとなしく友達もほとんどいなかった彼は、
当時 子供の間で流行っていたオモチャの重に興味を持つと
それだけでは飽き足らず、改造した傘の柄に花火の火薬を詰め、
手製の銃を作るほど銃にのめり込んでいった
高校を卒業するころには本物の銃を撃ちたいと思うようになり、自衛隊を受験
しかし…その夢は叶わなかった
銃だけが生き甲斐だったKは、自分の全てを否定されたような気持になった
その後、18歳になると鉄砲所持許可を取得し、猟などに使われるライフル銃を手に入れた
当時、ライフルの審査に厳しい審査はなく、申請すれば誰もが持つことが出来た
しかし射撃場に通ううち…警察官など
ごく一部の者しか持つことが許されていない拳銃に強い憧れを抱くようになり反抗を決意した
警官から拳銃と制服を奪い逃走したKは、近くの民家を訪ね、
警察官のフリをして犯人を追っていると偽り、車を出してもらう事に成功
免許を持っていなかったため住民に運転をさせると、そのまま東京方面に向かった
闘争開始から30分後、気をきかせた住民の判断で交番の前で停車させた
現場の警官からの連絡に加え、車を出した男性の妻が、
パトカーも使わず一般市民に車を貸せと言った行動に不信感を抱き通報
この時、車は既に手配されていた
「それ以上近付くとこいつを撃つぞ!後ろへ下がれ」
その時、Kは偶然交番の前で停車した車に乗り込み、拳銃で脅し再び 東京方面へ逃走
神奈川県警は捜査員300人、パトカー7台、白バイ85台を動員し、
東京都の県境を中心に33カ所に検問を設置
ラジオを聞いていたKは、捜査をかく乱するため、進路を東京方面ではなく川崎市に変更
川崎で人質を連れたまま、新たな車を強奪、乗り換えると14時過ぎには東京の小金井市へ到着していた
その頃、強奪された3代目の車の持ち主からの通報で、警察はまだ川崎近辺を捜索していた
そしてパトロール中の警官が川崎で強奪された車を小金井公園で発見
車を使わずライフルを持ったまま遠くへは行けないと思った警察は、
検問にあたらせていた警官を小金井公園に集結させた
Kは小金井公園に車を停めていた男女2人を脅し、新たな車を手に入れ、すでに小金井公園を脱出
元の1人に加え、合計3人となった人質と共に再び東京方面へと車を走らせていた
最初に撃たれた警官が治療の甲斐なく亡くなった
殉職者を出した警察は、さらに捜査員を3000人増員
その頃 Kは、ライフル銃を購入した渋谷に向かっていた
渋谷にあるロイヤル鉄砲火薬店で大量の弾丸を調達しようと考えた
その間、Kは体調不良を訴えた女性を解放
闘争開始から6時間、18時に渋谷の銃砲店へ到着
ロイヤル鉄砲火薬店は、現在 ファイヤー通りと呼ばれるファッションストリート
そこに並ぶ2階建てのビルの1階にあった
Kが店舗に入ると、隙を見て人質が逃走、向かいにある消防署に駆け込んだ
隊員はすぐに警察に通報
ここでようやく警察は、犯人が小金井公園ではなく渋谷にいると知り、全捜査員を急行させた
「ここに来る前に警官を2人撃ってきた。命が惜しければ俺の言う事を聞け!」
店内には店員を含めた男性1人、女性4人がいた
通報から数分後、警官隊600人、ヘリ2機、パトカー150台が集結
現場から近い、原宿署にも要請がかけられた
ロイヤル鉄砲火薬店の周囲は野次馬や報道陣が殺到
背後の山手線は流れ弾が当たる可能性があり、創業以来初めて全線がストップ
ロイヤル鉄砲火薬店から半径150mを完全封鎖
18時25分、原宿署の応援刑事も現場に到着
すでにKは包囲した警官隊に銃を乱射していた
捜査本部は人質の安全を考慮し事態を静観するよう指示を出した
警察は全く手出しができぬまま立て籠もりから30分が経過
いつしか野次馬の数は5000人近くまで膨れ上がり封鎖が破られそうな状態になっていた
ついに野次馬の一人に流れ弾が当たってしまった
Kの銃弾は、次々と警官や記者、野次馬などを襲撃
立て籠もりからわずか30分で警官5人のほか、野次馬や記者など10人が撃たれ、重軽傷を負った
19時、立て籠もりから50分が経過、
原宿署の若手刑事:緒方保範は、弾切れのタイミングを狙って、店舗脇の路地に飛び込むことに成功
その時、機動隊によって催涙弾が投げ込まれた
緒方は仕方なく店の裏手に移動、すると窓からKを確認
催涙弾で興奮し、ヘリの音に苛立つ犯人は、今にも人質を撃ちかねない状態だった
店内には犯人をあぶり出すべくたて続けに催涙弾が投げ込まれていた
ついにKは 人質を連れて外に出る
緒方は隣の店から正面の入り口に移動、犯人までの距離わずか4m
Kは、予備の銃を持たせた人質を盾に発砲
後ろには弾の箱を抱えた女性2人を連れていた
しかし人質が盾になっているため捜査本部から発泡許可を下さなかった
その時、女性店員が恐怖のあまり動けなくなってしまった
予備の銃を持ち 前を歩かされていた店員が銃でKを殴り、揉み合いの末、逃走に成功
Kは発砲するも弾切れ、そして そこに緒方が突貫し揉み合いに
Kが最初に強奪した拳銃で、緒方は左上部を撃たれる
そのまま逃走しようとするKに警官が次々と覆いかぶさった
19時18分、ついにKは逮捕された
警察、機動隊を合わせた数、延べ7000人
180発もの弾丸が飛び交った市街戦
事件から4年後の1969年、最高裁で死刑判決が言い渡された
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