世界ふしぎ発見で紹介
●静岡県田方郡函南町新幹線区
静岡県田方郡函南町にある集落は新幹線と呼ばれている
戦前の弾丸列車計画のトンネルを掘っていた人たちが住んでいた地区
弾丸列車は新幹線とも呼ばれていたので、その工事関係者が住む地区を新幹線と呼ぶようになった
東京から大阪を経て、下関まで新しい線路を造り高速鉄道で結ぼうという計画
さらに対馬海峡に海底トンネルを掘り、中国まで延長する構想もあった
1941年、トンネル工事が着工した
しかし戦況の悪化で弾丸列車計画は中止を余儀なくされる
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●夢の超特急 新幹線計画
そして終戦後、新幹線の計画が再び決まった
目的は東京と大阪の2大経済圏をつなぐこと
従来の東海道線の輸送力は限界で、新しい鉄道は復興に欠かせなかった
牽引したのは2人の人物
東京駅18・19番線ホームの端に国鉄 総裁:十河信二のレリーフがある
そしてもう一人は、蒸気機関車の最高傑作D-51を設計した島秀雄
1955年、新幹線計画が決まった時、島はある鉄道事故をきっかけに国鉄を辞めていた
十河は新幹線の建設には島の力が不可欠だと考え、何度も復職を呼び掛けていた
島の父親は、戦前の弾丸列車計画の責任者、だが夢半ばで亡くなっていた
「親父さんの弔い合戦をしないか?それが息子としての義務だろ」
島は技術のトップを引き受ける事になる
十河が資金や政治的な折衝、島が技術の開発
島をリーダーとして時速200キロで走る車両の開発が始まった
200キロは未知の領域、試行錯誤が続いた
空気抵抗の研究のため模型を作って風を当てる空洞実験が繰り返された
島はさらに安全面にも注意を払った
島が以前 国鉄を辞めたのは100人以上の死傷者を出した事故がキッカケだった
島は直接の責任者ではなかったが、事故の悲惨さを痛感していた
200キロ以上で走行すると運転手は信号を目で確認する事はできなくなる
そこで開発されたのが、ATC(自動列車制御装置)
島は、様々な新しい技術をそのまま新幹線で使用せず、一度在来線で試した
それが新幹線の原型とも言われる、新幹線の6年前にデビューした特急こだま
開業の2年前には試験用車両が走行を開始する
1964年10月1日、東京オリンピックの開催を9日後にひかえた東海道新幹線開業の日
式典が開かれた東京駅に十河、島 2人の姿はなかった
十河は前の年、総裁の座を追われていた
島も国鉄を去ることを即座に決めた
1969年、日本で本格的に宇宙開発がはじまり、JAXAの前身:宇宙開発事業団が発足
島はその初代理事長に就任する
日本の衛星に聞く「きく」や「ひまわり」など花の名前が付けられているのは、園芸好きの島が発案したから
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