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1974年、甲斐バンドでデビューした甲斐よしひろ
1979年、HEROが180万枚の大ヒット
●甲斐よしひろの蒸発した父
甲斐が育ったのは福岡の繁華街:清川
甲斐は4人兄弟の末っ子、
家は理髪店をしていて支店やアパートを持つほど裕福だった
母は真面目で働き者、父は腕のいい職人だった
早い時期からテレビやラジオがあり、いつも身近には音楽があった
父は夜になるとめかし込みナイトクラブで演奏するマンドリン奏者
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甲斐が6歳のある日の真夜中、幸せな家族に突然 悲劇が訪れる
夜中に起こされ母に急かされるままトラックの荷台に乗り込んだ
中には悲しそうな兄たちと黙り込んだ父がいた
父が保証人になった知人が蒸発、莫大な借金が全て父に
経営していたお店、支店、アパート、全てがなくなった
その後、福岡の田舎町で新たな生活を始めたが、
1年も経たずに父が蒸発してしまった
父がいなくなってからは母が女でひとつで新しい店を切り盛り
4人の兄妹を育てながら、父の借金を少しずつ返済
父が蒸発して10年後、甲斐が16歳の時、ひとりで店の番をしていると、
突然、父親が帰ってきた
その後、一緒に住むようになったが、母や兄弟の苦労を考えると
どうしても父が許せず父を殴ってしまったこともあった
父とのわだかまりがとけないまま、1974年、甲斐はメジャーデビューを果たし上京した
2001年、父が他界
葬儀の時、甲斐は信じられない光景を目にした
どんなに苦労しても一度も泣いたことがない母が、初めて大声を上げて泣いた
あんなに苦労させられたのに、なぜ悲しむのか理解できなかった
父が亡くなって1年後、兄たちから父が突然帰ってきた理由を聞いた
プライドが高かった父は惨めな生活に耐えきれず蒸発
しかし母はどんな苦労をしても父の事が大好きだった
母の気持ちを察して長男は小倉にいるという父を迎えに
2年後、元気だった母も父を追うように亡くなった
最近、兄から封筒が届いた、中には手紙と写真が…
“親父は家を出て10年、この写真をずっと持っていたらしい”
その写真には父の腕に抱かれた幼い甲斐の姿があった
甲斐の曲の中で父が一番好きだった曲は、デビュー曲の「バス通り」
この曲のイントロは、マンドリンから入る
父はカラオケに行くといつも、この曲を誰かに歌わせて聴き入っていた
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