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2006年5月29日、俳優:岡田眞澄が死去
「ここにいる皆さんを俳優として騙したように僕も騙されるんじゃないかな。一対一の人間としては軽蔑するところもあった」
葬儀の場で公然と父を批判した
「僕たちは嘘で塗り固められた偽装家族だった」
●俳優:岡田眞澄の長男:眞善が父との確執を語った
映画からバラエティまで幅広い活躍をみせた岡田眞澄
1983年にはベストファーザー賞を受賞するなど良き父の代名詞となった
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セレブなイメージの岡田だが、実は極貧生活を送っていた
華々しいデビューで映画スターとなったが、
次第に映画産業が下火になったことで舞台俳優に転身し、収入が激減
映画時代の収入で建てた都内の一等地にある豪邸に住み、
マスコミには海外ドラマのような生活を披露していたが、実は家計は火の車
しかし岡田はイメージを守るためセレブ家族を演じさせていた
日々の食事はご飯とみそ汁にお新香とほうれん草のおひたしだけと、
まるで精進料理のようなメニュー
さらに家族写真ではセレブらしくパリッとした服装で写っているモノの、それも嘘
衣装はすべてレンタル…
実際は服を買う余裕もなく、兄弟でお古を着まわしていたのが当たり前だった
セレブなイメージから多くのパーティや式典に呼ばれることが多かった
そんな時には運転手つき高級車で会場入りしていたが、これも嘘
岡田の愛車は中古の軽自動車
セレブのイメージを守るため会場近くまで軽自動車で乗り付け、
50mだけ高級車のハイヤーで会場入りしていた
しかし1988年、仮面ノリダーでファンファン大佐を演じ、再ブレイク
上がりに上がった芸能人としてのステータスを守るため、宝石や洋服に莫大な投資をした
その裏では稼ぎを家に入れず、家族は未だ貧乏暮らし
家計を支えていたのが大学生になった長男:眞善
ガソリンスタンド、医科大学の深夜ヘルパー、家庭教師、塾講師など
バイトを掛け持ちして家計を支えた
父はセレブなイメージを守るため夜な夜なパーティーを主催し、次第に家に帰らなくなっていった
父を軽蔑しながら一切不満を漏らさず、良き親子を演じ続けた
そして1994年、岡田眞澄 離婚
それまで自らを支えてくれた家族を捨て家を去った
1年後、再婚を発表、円満離婚をアピール、これも嘘
イメージを守るため、新生活を元妻や息子が応援しているとエピソードをでっち上げていたという
親子関係は修復できないほど泥沼化していた
2006年、岡田眞澄 死去
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