爆報!THEフライデーで紹介
1971年、日活がセクシー映画に路線変更
その第一作目に抜擢されたのが女優:白川和子
その美貌と妖艶な演技で余の男性を魅了
●日活の女優:吉川和子の団地イジメ 住民による白川和子追放運動の真相
1973年、日活の社員と結婚
夫には死別した前妻との間に2人の連れ子がいた
普通の主婦になりたいと芸能界を引退
子供たちの生活環境を変えないようにと3人が暮らす関西の団地に移住
そこは当時、数万人規模の関西有数のマンモス団地
そこで夫の苗字「小西」を名乗り、専業主婦として団地暮らしを始めた
転居初日、近所へ挨拶回りを始めた白川
マスコミは白川の転居先まで掲載していた
転居早々、白川の部屋は団地住民の知られる事になり好奇の目にさらされる事に
白川の一挙一動はくまなく監視され、井戸端会議のネタにされていた
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そして主婦たちのやっかみが始まっていく
監視していたのは主婦だけでなく、マスコミも白川の私生活を面白おかしく暴露した
連日押し寄せる取材陣に迷惑し、業を煮やした住民たちは、
直接 不満をぶつけるようになった
そして、「はよ出てけや!今すぐ消えろや」
毎日 白川にいたずら電話が鳴り響いた
それでも白川は状況を変えようと団地の運動会に積極的に参加
おすそ分けを息子に持っていかせるなど団地に溶け込む努力をした
ある日、白川のミスから下の階の住人の布団が水浸しに、土下座を強要された
そして白川和子追放運動に発展
団地が汚れるという理由で「白川和子を追い出そう」という署名運動を始めた
当時50棟あった団地のうち、5棟分の署名が集まった
ある日、団地で孤立する妻を見かねた夫が子供連れの女性を連れてきた
年は29歳、夫もいて3人の子を育てる女性だった
同じ様な境遇もあり すぐに意気投合
やがて彼女は夫がいない時も家を訪れるように
しかし実はこの女性は夫の愛人だった
浮気発覚後、夫は家に寄りつかなくなり家庭崩壊
残されたのは夫の連れ子の長男と長女
長女は白川に猛反発、そして長男は非行を繰り返し 暴走族へ
1980年、長男と長女が社会に出たのをきっかけに離婚
地獄の団地生活に別れを告げた
その8年後、団地イジメ、住民による白川和子追放運動…
白川と住民との対立が初めて報じられた
●日活の女優:吉川和子は今…再婚して神奈川県相模原市で新たな生活を送っている
再婚相手は浮気が原因で離婚した元夫
白川と別れた夫との間には血を分けた娘が生まれた
離婚後、娘を連れて東京へ戻り、女優として再スタートを切った
元セクシー女優の復活により娘は学校でいじめられる様に
1986年、元夫の全てをゆるし再婚
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