ナイナイアンサーで紹介
15年に及ぶ両親のW介護の日々
半身不随の母を10年、母を看取った後も記憶障害の父を5年
●青春の全てを介護に捧げた町亜聖
1995年に日本テレビに入社したアナウンサー:町亜聖
彼女が育ったのは埼玉県にある家賃4万ほどの小さな家
4畳半と6畳の二間の家に家族5人で暮らしていた
家計を支えるため配送関係の仕事をしていた父は家を留守にしがち
家族の支えは太陽のような母の存在
しかし突然の不幸が家族を襲う
高校3年生の3学期の始業式の日、「母さんが具合悪いみたい」と妹に叩き起こされた
仕事から帰ってきた父が母を病院へ…すると
「精密検査の結果、くも膜下出血です。今すぐにでも手術の手続きをしてください」
緊急手術の結果、一命は取り留めた
しかしくも膜下出血と脳梗塞を併発し、右半身が麻痺
会話どころか筆談さえも困難な状態に
つい昨日まで一家を明るく照らしてくれた母が変わり果てた姿に
スポンサーリンク
●半身不随の母の介護
父は早朝から働いていたため、まだ中学生の弟と小学生の妹の世話、
これまで母がこなしていた家事はすべて長女 町の仕事に
そして放課後は入院中の母の世話をするため、毎日病院へ通っていた
さらに町を苦しめたのはお金の問題
もともと両親の共働きでギリギリの生活
母の収入が無くなった上、治療費などがかかり家計は一気に困窮
食費は家族4人で1ヵ月1万円
わずかな時間で勉強に励み、晴れて立教大学に合格
母はリハビリの甲斐があり退院、自宅での生活が始まった
当時は介護保険もサービスも、お風呂に入れる施設もなかった
同級生たちがサークルやコンパなど華々しい大学生活を送る中、
町は母の介護と生活費のためのアルバイトに明け暮れる日々
そんな環境の中でも努力を怠らず町は小学生からの夢だったアナウンサーになった
不規則な時間に追われ、仕事が終わると母の介護
その青春の全てを家族と母の介護に捧げた
そんなおり母が出血して病院に緊急搬送
子宮頸がん、既に治療の施しようがないほど進行していた
死の宣告から1年半後、母が亡くなった
●好きではない父の介護
父は家族を支えるため、弁当屋の配送をしていた
しかし本来 人付き合いが苦手
仕事で溜めこんだ鬱憤を家族にあたる事もあった
時として理不尽な父を懸命に支えていた母だった
そんな母が倒れ、町が介護に身を削る中、
父は…母が元気だった頃と全く変わらなかった
母の死後、父は抜け殻のように
お風呂入らない、ご飯食べない、酒ばかりの生活
そしてついにアルコールの影響で脳が委縮し、
ウェルニッケ・コルサコフ症候群という記憶障害の病気を発症
しばらくすると父の足は動かなくなり車いす生活を余儀なくされることに
ほどなくして父はこの世を去った
「泣かないと思ったんですけどやっぱり泣きました」
スポンサーリンク
コメント