嵐を呼ぶ!あぶない熟女で紹介
●加藤登紀子の獄中結婚の真相
21歳でシャンソン歌手としてデビューした加藤登紀子
東大生歌手として話題となり大ブレイク
1966年、日本レコード大賞 新人賞を受賞
夫:藤本敏夫は大勢の学生たちと共に政治的主張を掲げ武装し、
機動隊と激しく衝突した学生運動のリーダーだった
2人の出会いは、加藤の元に突然 藤本から集会で歌って欲しいと依頼が来た
学生運動のスターだった藤本…噂は色々聞くが、顔を見るのは初めて
血気盛んな学生たちを率いる無骨で汗臭い男だろう、と思っていた
想像とは全く違っていた、藤本はオシャレで清潔な好青年
「次の集会は盛大なモノにしたいんだ。少しでも多くの人が集まるためにも歌ってもらえませんか?」
「私は政治とは違う所で歌っています。あなたたちは歌って踊って人を集めるというやり方を批判してきたんじゃないですか?お断りさせていただきます」
「そうですね」
食い下がってくるかと思いきや素直に受け入れてくれた
その潔さ、加藤は藤本のスケールの大きさを感じた
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2人はすぐに意気投合、お互いの強い信念を分かち合い惹かれていった
だが加藤はスター歌手、恋人が学生運動のリーダーなんて公にできるはずもなく密かな交際となった
学生運動をリードした藤本に対し、公務執行妨害などの理由に3年8か月の実刑判決が下された
刑務所に入る藤本…離れたくない…加藤は「私たち結婚しましょ」
「いやあり得ない。3年もいない男が結婚と言う形だけで黄身を束縛する訳にはいかない」
1972年4月21日、藤本は中野刑務所に収監された
そんな頃、加藤の妊娠が発覚
愛する藤本との間にできた新たな命が宿っていた
さらにこの時、加藤は「知床旅情」でミリオンセラーを記録
レコード大賞 歌唱賞に輝き、歌手として絶頂を迎えていた時期
藤本に手紙で“私はあなたと結婚し子供を産むことに決めました”と正直な思いを伝えた
すると2日後、弁護士づてに彼からの返答が「OKだそうですよ」
1972年5月29日、加藤登紀子は結婚記者会見を開いた
そこにフィアンセの姿は無い
「挙式はしないんでしょうか?」の記者の質問に「ないでしょうね」と答えたが、
実は密かに交わした式があった
5月6日、結婚したことで特別に面会が可能となり、久々の再会を果たした
10分ほどの交わした言葉はそっけない物だったが、それでも胸が一杯だった
それから1年後、藤本から手紙が…
“君は僕たちの結婚記念日を知っていますか?君が中野に面会に来た日なのですが、机を間にして立会人は職員が一人で神式でも仏式でもなく言うならば官式で、それは愉快な結婚でありました”
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