解決!ナイナイアンサーで紹介
●俳優:原田大二郎の20年に及ぶ父と子の確執
1970年、映画「裸の十九歳」で主演デビュー以来、数々のヒット作に出演
またバラエティー番組でも一躍子供からお年寄りまで愛される存在に
39年前、原田が30歳の時に待望の男の子が生まれた
小さな体で生まれた長男
寅年に生まれ、強い子に育ってほしいという思いから虎太郎と名付けた
しかし生後間もなく、医者から告知された
ヒルシュスプルング病…先天性 巨大結腸症
直腸の神経性細胞が先天的に欠如しており、
最悪の場合、腸炎などを発症する重い病気だった
「長くは生きられないかもしれません。もしかしたら学校に上がれるかどうかも…」
死なせるわけにはいかない、献身的に息子を支えた原田夫妻
最悪の事態は免れたが、3歳になるまで流動食しか食べられず、
幼稚園に通う年齢になっても明らかに他の子どもより発育が遅れていた
それでも元気な姿を見るだけで幸せだった
そんなある日、主治医から呼び止められた原田
そこで原田は、それから30年もの間、正しかったのか?悩み続ける大きな選択を迫られた
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「虎太郎君ですが小学校の入学を2年ぐらい遅らせてもいいんじゃないですか?」
他の子どもに比べ発育が遅かった虎太郎君
このまま小学校にあがると勉強や運動についていくのが難しいのでは?という医師からの助言だった
今の状況を考えると、入学を遅らせる事が最良の道であるように思えた
息子が他の子どもに追いつこうと頑張っているのが垣間見え、
同じ年の子と同じ教育を受けさせる事にした
この時に原田にはこれが最良の道と信じるしかなかった…
虎太郎君は通常の年で小学校へ入学
原田は息子を全力でサポート
それに応えるかのように虎太郎君も順調に学校へ通う日々
原田の選択は正しかったかに思えた…しかし
それは虎太郎君が小学校2年生になった時のこと、
その時、虎太郎君の不自然なほどマダラで髪の毛は虎刈りのようになっていた
「誰にやられた?」と聞いても、うつむいたまま何も答えない虎太郎君
妻はすぐに学校へ、藁にもすがる思いだった
しかし先生の口から出た言葉は
「お話は分かりました。たしかにやった子は悪いと思います。でも…虎太郎君もちょっとデリケートすぎるところがあるから、ね」
そして原田は息子を転校させることを選択した
それからいじめられるような事はなくなったという
そして虎太郎君は中学校へ入学
1年生の頃には自宅に友達を連れて来ることも
ある日のこと、虎太郎が帰宅すると学生服が泥だらけに
聞いても「友達とプロレスごっこをしてただけ」
制服を見た瞬間、原田はいじめを疑った
原田いつものように息子の勉強を見ようとしたある日、
ノートを開くと一面に“バカ”と大きな字で書いてあった
“くさい”“死ね”“消えろ”と続いていた
虎太郎君は中学になっても凄惨なイジメにあっていた
原田はなりふり構わず学校側と何度も話し合った
その甲斐もあり虎太郎君は中学校を無事に卒業することが出来た
高校生になり平穏な日々を送っていたが、卒業間近に突然不登校になってしまう
心を閉ざした息子、その後も学校へ行かない日々が1か月余りあまり続いた
何度も何度も息子を話そうと試みるが、そのうちなす術をを失った
そんな日々に疲れ切った妻は、息子と一緒に命を絶つことも考えたという
父と子の絆は断ち切られてしまった
どこで道を間違えたのか…息子を支えたい、ただそれだけなのに…
原田は当時を振り返り「自分の子どもに何とかして普通教育を受けさせたい。今思うと何の意味があったんだろう。彼は学校教育を受けなくたってちゃんと生きていける。その道を頭から考えなかったのは間違えてきた気がする。その事ってそんな大事じゃない。虎太郎の親である資格があったかどうかは自信がない」と語った
あれから20年、原田は未だに息子は自分に心を開いていないと感じているという
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