爆報!THEフライデーで紹介
●元フジテレビアナウンサーで「レディス4」の小林節子は今…長野県の村に移住し10LDKの豪邸にひとり暮らし
1968年、フジテレビに入社、同期のアナウンサーは逸見政孝
その後、フリーアナウンサーに転向
1984年から20年間「レディス4」に司会を務めた
そんな小林は今…長野県諏訪郡原村に移住
自宅の間取りは10LDK
元々ペンション用の物件を自宅として4000万円で購入
普段は地域の副区長を務め、近所の農業学校の手伝いなどをしながら毎日を過ごしている
現在、68歳独身
スポンサーリンク
●移住したきっかけは親の介護
1996年、当時 彼女はレディス4の司会者として活躍
そんな中、小林は90歳の父と認知症になり始めていた80歳の母を
横浜の実家から東京のマンションに呼ぶことに
認知症の母は長年過ごした自分の家から新しい環境の変化についていけず、こもりがちに
小林はそんな両親が不自由にならないようにと朝ごはんを作ると仕事の前に掃除を済ませ、
昼間は両親を老人介護のデイサービスへと預けた
午後6時、生放送を終え、すぐに帰宅すると夕食の準備、片付け、洗濯など一通りの家事をこなす
朝から働きっぱなしで疲労はピークに
認知症で情緒不安定となった母との口論は毎晩遅くまで続いた
仕事、家事、さらに介護…、そして母との衝突…そんな生活が8年も続いた
しかし同期の逸見政孝の死が、小林の心に大きな変化を与えた
急ぐことはない、私のハードルは低くしよう
2004年、59歳で「レディス4」を卒業すると翌年、小林はテレビの一線から退き、
両親と共に長野県原村に移住
仕事を辞め大自然の中で両親を介護しようと貯めていたお金でペンションを購入した
すると、それまでふさぎがちだった母がよく笑うようになった
父も広いペンションで趣味の絵画を楽しみながらゆったりとした日々を過ごした
そして父は5年前に100歳で他界
一方、母は骨折がキッカケで横浜の特別養護老人ホームに入居
小林は自宅の横に人が集まるコミュニティホールを建設
週に一度喫茶店として営業、そのほかにもイベントや集会を行えるスペースを提供している
スポンサーリンク
コメント