爆報!THEフライデーで紹介
●美に執着した俳優:沖雅也
1952年、大分県で生まれた沖雅也は15歳で俳優になる為、単身上京
夢だった俳優を目指し、年齢をごまかしてバーテンダーをしていた
そこで出会ったのが日景忠男氏
大病院の資産家だった日景氏は沖の人柄や魅力に魅かれ、沖の為に芸能事務所を設立
さらに沖を養子に迎えた
1968年、16歳の時、日活ニューフェイスのオーディションに合格した沖は
映画「ある少女の告白」でデビューを果たす
そして「太陽にほえろ!」でスコッチ刑事を演じた沖は爆発的な人気を獲得
人気役者となった沖は命を落とす31歳までに125本の映画・ドラマに出演
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●完璧主義者ゆえに精神崩壊
役作りに完ぺきを求める性格が、のちに自分自身を死に追い込む形となってしまう
1981年4月11日、28歳の沖雅也は交通事故を起こしてしまう
実父の墓参りへ向かう途中、運転を誤り高速道路の壁に衝突
この事故以降、沖の精神状態は壊れていく
そして沖は躁うつ病に侵される
沖は当面の仕事を全てキャンセルし、精神科に緊急入院
●美への執着
10代の頃に共演した女優:吉沢京子によると
「自分は30歳まで生きるかな…」と当時18歳の沖がつぶやいた
吉沢が聞き返すと「だって美貌が損なわれるじゃん」
「年をとったらしょうがないんじゃない?」
「自分でその姿を見るのイヤじゃん」
「でもそれが自然なんじゃないの」「いや許せないね」
吉沢は沖が自殺する1週間前にジョギングする沖と偶然遭遇している
8年ぶりの再会…「君は数少ない清純派女優だから細く長く続けていけよ」
まるで永遠の別れかのような言葉を残し去って行った
1983年6月28日、飛び降り自殺
遺書には“おやじ涅槃でまってる”と書かれてあった
同性愛報道のせいでこの言葉だけクローズアップされていたが、遺書には彼の意思と葛藤が書かれてあった
“人は病む。いつかは老いる。死を免れる事は出来ない。若さも健康も生きている事もどんな意味があるというのか。おやじ涅槃でまってる 沖雅也”
実は沖が飛び降りたホテルの部屋は、あの日の半年前から予約されていた
半年前、闘病生活の影響で体重が10㎏も増加していた
そこから半年間走り込み、ベストの体重に戻し、この世を去った
死の間際を見届けた警備員の証言によると…
飛び降りる瞬間、沖はわざわざ後ろ向きになり背中から身を投げたという
47階、高さ178mから飛び降りたにも関わらず顔には一切傷が残っていなかった
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