世界ふしぎ発見で紹介
今では誰でも登れる富士山
しかし、かつて富士山を外国人が登る事は許されなかった
富士山は日本人にとって最も神聖な山であり信仰の対象だったからである
今から150年前、周囲の反対を押し切り外国人として初めて富士山に登った人物がいる
1860年11月に発行されたタイムズ紙によると
“日本の聖なる富士山に初代 駐日英国公使ラザフォード・オールコックが外国人として初めて登頂した”と報じている
オールコックは開国間もない日本に送り込まれたエリート外交官であった
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●富士山に初めて登った外国人
オールコックが登る前に立ち寄ったのは村山村(現:富士宮市 浅間神社)
1809年、ロンドン郊外で医者の子として生まれたオールコックは31歳の時、英国の外務省に入省
15年間の中国領事を経て、1859年、開国直後の日本へやって来た
オールコックは江戸幕府に対して申し出を行った「私は富士山に登るつもりだ」
富士山への旅行を通して日本の本当の姿を見たいと思った
1860年9月、幕府の猛反対を押し切ってオールコックは富士山へと旅立った
村山浅間神社から山頂に伸びる全長22キロの村山道がそのルート
平安時代から続く富士山岳信仰のための登山道
村山道は明治時代になって廃れ、現在は廃道となっている
標高1280m付近には富士山中宮八幡堂跡がある
かつてこの場所には16世紀に建てられたお堂があったため、多くの修験者がここで足を止めた
標高1500m付近になると景色は一気に変化する
溶岩や樹木が苔に覆い尽くされている
オールコック一行には植物学者も同行し、どの標高にどんな植物があったか?詳細に記録している
標高2400m、高い木が生息できない森林限界となる
そして現在の富士宮口6合目と合流する
身の危険を侵し困難を克服しながら外国人として初めて山頂に立ったオールコック
当時、日本の英国が結んだ条約には日本国内をイギリス人が自由に旅行できる権限が含まれていた
国を代表する人間が。その権利を実際に行使する事はとても重要だった
1861年5月、オールコックの住んでいた高輪の東禅寺を攘夷派の水戸浪士たちが襲撃した
オールコックの富士登山は外国人が霊峰を汚したとして攘夷派の怒りを買った
幸いにも彼自身は難を逃れたが、この事件で書記官など複数のイギリス人が負傷してしまう
しかしオールコックは事件の報告書に“日本は今 革命の混乱に巻き込まれている。だから仕方がない”
と日本を庇うような報告を書き記した
実は富士登山を終えたオールコックは江戸に戻る途中、熱海に立ち寄り休養をとっている
オールコックは富士登山の旅に愛犬のスコッチテリア:トビーを連れていた
しかし、一瞬目を離したその時、トビーが噴き出した間欠泉の熱湯に触れ、大火傷を負い死んでしまった
愛犬の死にオールコックは落ち込んだ
トビーを憐れんだ熱海の人々は、まるで人を弔うかのようにトビーを埋葬した
“あらゆる階級の人達があたかも自分の親族が死んだかのように悲しそうな顔つきでまわりに集まってきた”
この行動に心を打たれたオールコックは日本の庶民は外国人を温かく受け入れる心を持っている事を知った
間欠泉の傍には今でもトビーの墓石が残っている
熱海の人々の優しさに触れたオールコックは、その友情を忘れずに残そうと考え、
江戸に戻った後、わざわざその墓石を送った
オールコックが日本を擁護した背景には熱海の人々との交流が隠されていた
幕末の混乱を心配したオールコックは開港を遅らせるために日本からヨーロッパに使節団を派遣すべきだ、と幕府に進言
こうして派遣されたのが文久遣欧使節
オールコック自身も交渉に参加し、イギリスとの間に開港を4年先延ばしする約束を取り付けた
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