爆報!THEフライデーで紹介
●元巨人軍のエース新浦壽夫は今…変わり果てた姿に、妻と歩んだ地獄の闘病生活
1975年から監督に就任した長嶋茂雄の絶大な期待に応え、左のエースとして大活躍した
出会ったのは新浦が巨人に入団した3年目
登志恵さんは取材で訪れた毒蝮三太夫のマネージャーをしていた
自身のラジオ番組で巨人ベンチを訪れていた毒蝮
毒蝮の後押しで2人は交際を経て、結婚
巨人のエースだった新浦が30歳を超え、成績が落ち始めた頃、
結婚7年目、突然の移籍通告
しかも行先は日本ではなく韓国
新浦夫婦は6歳の子供と共に韓国行きを余儀なくされた
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1984年、韓国に渡った夫婦に待っていたのは想像を絶する環境の違い
言葉の通じない生活…球場にロッカーは無く、着替えや食事はバスの中
そして少しでもダメな投球を見せると容赦のない罵声を浴びせられた
常に精神的にも肉体的にも追い詰められた状況
妻の登志恵さんも慣れない環境と戦っていた
そして3年目に入った35歳の時、ついに新浦の体に糖尿病の異変が起き始める
頭に5円玉ほどの円形脱毛症、やたら喉が渇く、尿が近い、さらには体中に疲労感…
病は確実に進行していた
新浦はそんな異変に気付きながらも家族のために投げ続けた
1986年5月、試合開始直前、新浦は倒れた
緊急入院した新浦はすでに危険な状態
こん睡状態が続き3日間も生死の狭間をさまよった
何とか目を覚ました新浦に初めて病名が告げられる…糖尿病
糖尿病を引き起こした原因は精神的ストレス
生きる道はインスリンの注射投与
1日2回、一度でも怠ると死の危険、一生つきまとう2000kcalの食事制限
糖尿病で体力が衰える中、スタミナが必要なアスリートとして致命傷ともいえる食事制限
引退も考えた新浦だったが家族を養うため、注射をうちながら現役続行を決意
●麻薬疑惑
“新浦は覚せい剤をやっている”“活躍の原因は麻薬のせい”
突如、信じられない記事が韓国中に流れた
糖尿病で解雇を恐れていた新浦、その為内緒にしていた
隠れて打っていたインスリン注射を覚せい剤と勘違いされ記事になってしまった
結婚して10年目に訪れた夫婦の試練
野球以外の全てを背負った登志恵さんの戦いが始まった
まず始めたのは食事の徹底管理
1日2000kcalを超えないバランスのとれた食事メニュー
専門書を読み漁り食事メニューを作った
そして究極のアスリート料理に辿り着く
それはサムゲタン
肉の中でもカロリーの低い鶏肉を使い、栄養満点の朝鮮人参、ナツメ、ニンニク
そして腹持ちの良いモチ米
これで1試合投げ切るのに必要とされる900kcal
試合後にも食事をとれるようカロリーを使い過ぎず9回を投げ切るスタミナを得た
その結果、韓国3年目のこの年、13勝4敗の好成績
登志恵さんの支えで再び輝きを取り戻した
すると韓国での実績が認められ日本の球団からオファー
1987年、大洋ホエールズで日本球界復帰
その年11勝をあげカムバック賞を獲得
その後も登志恵さんの徹底した食事管理で41歳まで現役で活躍
現在、新浦はプロ野球解説の仕事をしながら少年野球の指導をしている
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