奇跡体験!アンビリバボーで紹介
●ヒグマに襲われた絶命までの記録
1970年7月14日、その日、福岡大の5人のワンダーフォーゲル部員が北海道日高山脈を訪れていた
芽室岳からペテガリ岳までを尾根伝いに歩く夏の長期登山
準備は万全だった
7月25日、入山11日目、5人は中間地点の山頂付近に差し掛かっていた
翌日は山頂アタック、九ノ沢カールと呼ばれる窪地にテントを張った
そこにヒグマが現れた
この時代、ヒグマに関する情報は少なく、最初は可愛いというくらいの印象だったと云う
やがてヒグマの方から近付いてきた
そして登山用リュックを漁り出した
メンバーはラジオのボリュームの上げ、火を起こすななどして威嚇し追い払った
しかし熊の恐るべき生態を彼らは知らなかった
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●ヒグマの生態
北海道に生息するヒグマは国内最大の哺乳類で大きさは2m以上、体重300㎏を超える物も少なくない
その巨体で時速70㎞以上で走り、鋭い牙と爪で獲物を捕らえる
7月25日、午後9時を過ぎた頃だった
耳を澄ますとテントの外から動物の鼻息が聞こえてきた
慌てて大音を出して威嚇して追い払ったが、
その晩、5人はクマに備え交代で番をした
朝を迎えた、結局クマは来なかった
しかし恐怖のため、全員一睡もできなかった
とその時、ヒグマが襲ってきた
5人はやむなくテントを捨て逃げ出した
その後、2人は救助を要請するため山を下りた
山を下った2人は途中、北海道学園大学のワンダーフォーゲル部のパーティに出会った
彼らもまた同じようにヒグマの襲撃を受け下山する途中だった
2人は救助隊の要請を彼らに託し、食料や地図、ガソリンなどを譲り受け、3人を助けるため今来た道を戻った
その頃、残った3人は再びテントに向かっていた
そこにはクマの姿は無く、リュックを取り戻した
この行為が3人を恐怖のどん底に突き落とす
●ヒグマは一度所有した物への執着心が非常に強い
3人は一旦テントを離れる事にした
その途中、鳥取大学のパーティと出会った
彼らにヒグマがうろついている事を伝え、警戒を呼び掛けた
その後、3人は下山した2人を待つ為、目印であるテントへと戻った
そして5人は再会した
山頂を目の前に登頂は断念
しかし夜が迫っていたため、安全そうな場所に移動しテントを設営しているとクマが現れた
5人はとりあえずテントの中に避難
クマの様子を隙間からうかがった
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●クマは犬の7倍近い嗅覚を持っている
5人はクマがいる場所から反対方向に脱出
助けを求めるため、八ノ沢カールでキャンプする鳥取大学の元へと向かった
暗い山道を必死に走った
そこにクマがものすごいスピードで襲ってきた
5人は散り散りに逃げた
●悲鳴を上げてクマに背中を見せて走って逃げたことでクマのスイッチを入れてしまう
ありったけの声で鳥取大学のキャップに向かって叫んだ
しばらくして身を隠していたメンバーが集まってきた
メンバーのうち、興梠盛男と河原吉孝の行方が分からなくなってしまった
身の危険を感じた3人は仕方なくその晩岩場で過ごす事にした
7月27日、一刻も早く救助の要請をしなければと、3人は八ノ沢カールに向かうのを諦め、下山ルートを辿り、麓を目指した
だが、あいにくこの日は視界5mの濃霧
とその時、ヒグマが目の前から襲ってきた
2人は何とか麓まで逃げ切り、その足で駐在所へ駆け込んだ
だが、1人が逃げ遅れた
2日後、2人の遺体が発見された
河原吉孝と最後に逃げ遅れた竹末一敏だった
同じ日、彼らを襲ったクマは射殺された
その翌日、もう一人の遺体が発見された…興梠盛男だった
そして遺体の傍らからショッキングなメモが発見された
そこにはたった一人でクマと向き合った興梠さんの生々しい体験が綴られていた
“7月26日17時30分、我々にクマが追いつく、河原がやられたようである。俺もやられると思ってハイ松を横にまく。すると崖の中間点で息を潜めていると竹末さんが声を枯らして鳥取ワンダーフォーゲルに助けを求めた。俺の位置からは下の様子は全然分からなかった。クマの音が聞こえただけである。今夜はここで辛抱しようと10~15分ぐらいじっとしていた。それから鳥取大学のテントの方をのぞいてみると2、3カ所焚火をしていたので、かくまってもらおうと崖を下る。5分ぐらい下って下を見ると20mさきにクマがいた。俺を見つけると駆け上がって来たので一目散に逃げ、少し崖の上に昇る。まだ追っかけてくるので30㎝ぐらいの石を投げる。失敗である。ますます這い上がって来るので15㎝ぐらいの石を鼻めがけて投げる。当たった。それからクマは10mほど後ずさりする。腰を下ろして俺を睨んでいた。俺はもう喰われてしまうと思って右手の草地の上を伝って下まで一目散に逃げる事を決め逃げる、前、後ろへ、横へと転び、それでも振り返らず前のテントめがけてやっとのことでテントの中に駆け込む。しかし誰もいなかった。しまった、と思った。(この時、鳥取大学は福岡学園大学に起こった非常事態を察知し救助隊の要請をする為全員が下山していた)もう手遅れである。中にシュラフがあったのですぐ一つを取り出し中に入り込み、大きな息を調整する。何故かシュラフに入っていると安心感が出てきて落ち着いた。それからみんなのことを考えたが、こうなったからには仕方がない。昨夜も寝てなかったから、このまま寝る事にするが、風の音や草の音が嫌に気になって寝られない。明日ここを出て沢を下るか、このまま救助隊を待つか、考える。sかしどっちをとっていいか分からないので。鳥取ワンダーフォーゲルが無事報告して救助隊を来ることを祈って寝る。7月27日、4時ごろ目が覚める。外の事が気になるが恐ろしいので8時までテントの中にいることにする。テントの中を見回すとキャンパンがあったので中を見るとご飯があった。これで少しほっとする。もう5時20分である。またクマが出そうな予感がするのでまたシュラフに潜り込む。あー早く博多に帰りたい。7時、沢を下る事にする。握り飯を作ってテントの中にあったシャツや靴下を借りる。テントを出てみると5m上にやはりクマがいた。とても出られないのでこのままテントの中にいる。他のメンバーはもう下山したのか、鳥取ワンダーフォーゲルは連絡してくれたのか、いつ助けに来るのか、すべて不安で恐ろしい。またガスが濃くなって不気味である”
3人の命を奪ったクマの胃の中に人間を食べた形跡は無かった
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