爆報!THEフライデーで紹介
●牧村三枝子が芸能界から消えた真相
1978年「みちづれ」が100万枚の大ヒット
さらに1981年には紅白歌合戦に初出場を果たした
●長屋暮らし
1953年、炭鉱の町:北海道美唄市で5人兄妹の末っ子として誕生
父は炭鉱夫、職人肌の無骨な男だったが
39歳の時に産まれた末っ子:牧村を溺愛
しかし、40代後半になると長年の炭鉱勤務で体が衰弱、ほとんど働くことができなかった
収入は母の皿洗いだけ
そのため家族7人での暮らしは極貧生活
長屋の6畳一間に家族7人がすし詰め状態
その食卓に並ぶのは、わずかばかりのジャガイモとトウモロコシ
ストーブの燃料を買えない家族は時には新聞紙を身体に巻いて寒さを凌いだ
そんな極貧生活を送るうち、牧村にはある想いが芽生えていく
「みんなが暖かくなれるお家がほしい」
15歳の時、「私高校には行かない。東京で歌手になる」中卒の道を選んだ
得意だった歌で家を建てるため、たった1人15歳で上京
東京の釣り道具展で働きながら歌手への道を探っていた
そして19歳の時に「少女は大人になりました」で歌手デビューを果たす
しかしその後、レコードを数枚出すが全く売れず、生活すらままならない状態に
その一方で両親が暮らす美唄でも炭鉱が閉山
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両親は完全に職を失ってしまう
そんな両親を放ってはおけず、牧村はわずかな稼ぎから両親に仕送りをし続けた
華やかな芸能人とは思えない極貧生活を送ること8年…
27歳の牧村に大きな転機が訪れる
それは偶然聞いた一枚のレコード
それこそ後に牧村の代表曲となる「みちづれ」
実は元々、渡哲也の歌だった
どうしても「みちづれ」を歌いたいと思った牧村は
渡哲也の元に訪れ、「みちづれ」を歌わしてほしいと直談判
渡は快諾、さらに信じられない事に
「三枝子ちゃんのレコードと間違われたらいけないから俺のレコードは廃盤にして」
牧村のために自分の「みちづれ」を廃盤にした
その結果、牧村の「みちづれ」は100万枚以上の売り上げ、演歌史上に残る大ヒットを記録
上京から苦節8年、紅白歌合戦に出場
牧村が幼い頃から夢見た家を購入
32歳になった牧村は富士山のふもとに6000万円の豪邸を購入
この豪邸には両親、兄弟も同居
念願だった一家揃っての生活を手に入れた
45歳の時、父死去
これまで父を幸せにしたい、その想いだけで頑張れた牧村
父がいない今、何のために頑張ればいいのか?生きる糧を失ってしまった
●余命宣告 余命宣告
そして彼女は酒におぼれた
1日中、浴びるように酒を飲み続けた牧村の体重は35キロまで激減
そしてアルコール依存症
病院に緊急搬送された牧村に医師から「余命は5年です。重度の肝硬変です」
牧村は肺に水が溜まってしまう肝硬変の末期症状
いつ命を落としてもおかしくない重症だった牧村は生きる気力を失っていた
父の遺品であるボロボロの段ボール箱
その中には父が娘のために集めていたレコード
父が亡くなる前までに牧村が発売した全てのレコードが揃っていた
しかも1曲につき何枚も、「みちづれ」は何と120枚、合計324枚
父は娘が新曲を出すたびにそのレコードを買い集めていた
少しでも売り上げが上がるようにと同じレコードを何枚も買い、箱にしまっていた
父の深い愛情を知った牧村は生きる希望が湧いた
生きて歌い続けたいと切に願った牧村は、一切の酒を断ち食生活を改善
堕落した生活を2年かけて一新した
すると病状は回復に向かい、肝硬変を克服
そして牧村は再び演歌歌手としてステージに立った
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