爆報!THEフライデーで紹介
●紅白歌手の大津美子が右半身麻痺・言語障害・記憶障害!
子供の名前すら思い出せない、重度の記憶障害になっていた
1955年、17歳で歌手デビュー
1956年に発売した代表曲「♪ここに幸あり」は結婚式ソングとしてロングセラー
6年連続で紅白出場を果たす
しかし1980年、突如表舞台から姿を消す
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1969年、実業家と結婚
そして難産の末、長男を出産
心臓に持病を持つ大津は医師から出産を止められていた
身を挺して授かった命…「生きてくれてるだけで嬉しい」
大津の願いどおり、スクスクと成長を遂げた長男
そんな中、突如くも膜下出血が大津を襲う
左目と耳の間の血管に出来た動脈瘤が破裂、脳には大量の血液が流れ出ていた
緊急手術の末、何とか一命を取り留めた
しかし、厳しい現実が待っていた
くも膜下出血の発症者に最も多い後遺症:半身麻痺
損傷を受けた脳とは左右逆の手足に麻痺が残ってしまった
そして言語障害も併発、さらに記憶障害
認知機能を担う神経細胞が死滅することで起こる記憶障害
失う記憶は人により様々
大津が失った記憶は…最愛の息子
リハビリに励み、右半身麻痺、言語障害は回復
しかし息子の記憶が戻る事はなかった
「お母さんに自分を思い出してほしい」
長男は母に付きっきりの生活を送った
看護師の代わりに体を洗ったり、学校の宿題は病室でするなど、
ひと時も母の側を離れなかった
さらに毎日お守りを作った、その数は42個にも及んでいた
入院から1か月以上過ぎても記憶は戻らない
それは気分転換に母を誘った公園で長男がかけたひと言
「僕はママが生きてるだけで嬉しいよ」
記憶を失う前、毎日息子にかけていた言葉…
その瞬間、記憶が全てつながった
子供の記憶を戻り、もう一度母親に戻ることができた
現在は歌手として復活
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