●人種差別主義者だったリンカーン
「奴隷解放の父」として知られ、南北戦争を戦ったリンカーン、もともと奴隷制廃止が戦争の目的ではなかった
さらにリンカーンは共和党の大統領候補指名を受ける2年前まで人種差別主義者であった
1858年の演説では「私は現在もこれまでも白人と黒人の間に社会的・政治的平等をもたらすことを好んだことはありません」
さらに「私はここにいる誰もと同じように、白人に与えられている優等な地位を保持する事を好んでいるのです」
1861年、奴隷解放論者として第16代のアメリカ大統領に就任
綿花栽培で奴隷を必要としたサウスカロライナ州など南部の11州がアメリカ合衆国連邦から脱退
1861年2月には南部連合が誕生した
同年4月、南北戦争が勃発
1862年、友人に宛てた手紙では“この戦争における私の史上の目的は連邦を救う事にあります。奴隷制を救う事にも、それを滅ぼす事にもありません。もし奴隷は一人も自由にせずに連邦を救う事ができるなら、そうするでしょう”
1863年、奴隷解放宣言
リンカーンは南部と講和せずに戦争を続行し、分裂した連邦を再統合するため、戦争の大義名分として「奴隷解放」を掲げた
1863年11月、ゲティスバーグで有名な演説が披露「人民の人民による人民のための政治…」
1865年4月9日、リー将軍が降伏し、南北戦争終結
1865年4月11日、ジョン・ブースに狙撃され、翌日亡くなる
南北戦争の死者は第2次世界大戦の米軍死者を上回る62万人
400万人に及ぶ奴隷が解放されたが、人種差別完全撤廃をうたった公民権法が成立するのは1964年
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