爆報!THEフライデーで紹介
●燃えろアタックのヒロイン荒木由美子の壮絶介護人生
1976年、第一回ホリプロスカウトキャラバン特別賞を受賞
同期の榊原郁恵と共にホリプロの看板アイドルとして売り出される
1977年、「渚でクロス」で歌手デビュー
1979年、ドラマ「燃えろアタック」で主演を演じた荒木由美子
1983年、歌手:湯原昌幸と結婚を機に惜しまれながらも23歳で芸能界を引退
湯原の家庭に入った荒木
当時、糖尿病を患い入退院を繰り返していた母
荒木はそんな母のため、毎日手作り弁当を持参
すぐに2人は本当の親子のような仲になっていった
結婚して4年が経ったある日の事…
突然物忘れが激しくなり、はじめは年齢による物忘れかと思ったが…
実はアルツハイマー病だった
タレント活動で家を空ける事が多かった湯原の分まで母の介護は当たり前と思っていた
しかし待っていたのは想像を凌駕する壮絶な介護生活
母が突然親戚に信じられない電話を…
「由美ちゃんが2階に若い男を連れ込んで食事までさせている」
だが、そんな事実はなかった
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ある日、幼稚園児の息子と遊んでいると…孫を浮気相手と思い込んでいた
息子はそんな祖母を本気で怖がってしまい部屋に引きこもるように
母からふと目を話した瞬間…「由美ちゃん誰かが私を見てるの…」
母が怖がっていた正体は鏡に映った自分の姿
食事やお風呂、トイレまで付きっきり
それは深夜まで及び、手をつないだままソファで眠ってしまう
そんな付きっきりの介護生活が8年も続いた
自分が頑張ればなんとかなると耐え抜いてきたが…
ついに荒木の身体が悲鳴をあげる
意識とは関係なく突然震えだす手…
髪が抜け落ち2つの円形脱毛症が…
胃潰瘍で物が食べられなくなった…
彼女を襲ったのは自律神経失調症
ついに夫婦は苦渋の決断を下す
1995年、母を介護施設へ
荒木は母の為、毎日施設へと通い続けた
そんな荒木の腸に悪性黒色腫(皮膚がん)の疑いがあると診断を受けた
黒色腫が悪性だった場合の死亡率は90%
特殊な症例だったため、悪性か良性か診断に時間を要する
荒木は介護のため、がん治療を放棄した
仮に悪性であった場合手術をしても手遅れの可能性が高い
しかも母を放っておくことになる
良性であることを祈りながら母を介護することにした
黒色腫発見から1年…奇跡が起こる
診断結果は良性の可能背が高い
驚くことにいくつかあった黒色腫の1つが消滅
そしてその直後、母が最期の時を迎える
最後の言葉は「こんな私を長いこと面倒看てくれてありがとう。これからの由美ちゃんに悪い事ないよ」
現在、荒木は介護の理解を深めるため、年50回以上の公演活動している
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