爆報!THEフライデーで紹介
女優:大沢逸美 母の介護人生
16歳でホリプロスカウトキャラバンでグランプリ
事務所の看板アイドルとして芸能界の第一線を走り続けた
1990年以降、芸能界から姿を消した…
それは一級障害者である母の介護の為
左ひざは人工関節、糖尿病で目は白内障、体中にはガンが転移…
病魔に侵された母の側を離れられない
芸能界での成功を捨て、母との壮絶な介護生活を送っていた
24歳の時に父が他界
突然の体調不良からわずか3ヵ月、すい臓ガンだった
これまで介護が必要だった母の面倒は全て父が一人で看ていた
父が亡くなった今、母を看れるのは一人っ子の大沢ただ一人
その為、葬儀を終えた直後、母を東京に呼び寄せた
1990年、当時24歳、芸能生活を送りながらの介護生活が始まった
トイレやお風呂など家の中での移動は抱えて引きずる状態
最も大変だったのがトイレ
ただでさえリウマチで痛がる母を支えながら何重にも履いているズボン、下着を脱がし、用を足したら片手で再び履かせる
トイレで用を足すだけなのに30分も要した
これが夜中2時間おきに起こる
そんな毎日を過ごしながらも仕事をこなさなければならない
大沢の苦労むなしく母の病状は悪化…
気付けば生活のほとんどが母の介護に捧げる日々
当たり前のように収入は激減
母の病状は悪化をたどる
転移性のガン…
ガンは既に発症した場所が分からないほど身体中に転移
医師も手が付けられない末期状態
2002年5月、母の死で10年に及ぶ介護生活が終わった
大沢は母の遺言を発見する
まともに手も動かせなく、目もほとんど見えない状態で書いた遺言状
“遺言です。すごい苦労しましたけどお父さんと逸美に人間の幸せをたくさんいただき心から感謝をして今は最高に幸せです。新たなる逸美の素晴らしい明るい家庭とお仕事とお付き合いをする人との人生である事をお守りいたします。よき大沢逸美の人生である事をお祈り申し上げます。大沢逸美、ありがとうございます”
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