もてもてナイティナインで紹介
芸能史に残る大事件の真相
そもそも勝新太郎は歌舞伎(の長唄を担当する一家だった
●勝新太郎に俳優への道を決意させたのはジェームス・ディーン
歌舞伎の仕事でアメリカを巡業中、ある映画俳優を紹介される
眼鏡をかけ寝癖のついた冴えない若者だった
それを見た勝新太郎は「こいつが大丈夫だったら俺も俳優としてやっていけるんじゃないか」
これが映画の道に進むきっかけ
その冴えない若者がジェームス・ディーン
●ブルース・リーは勝新太郎をリスペクとしていた
ブルース・リーは尊敬する勝新太郎の前で直立不動、かたくなに座らなかったと云う
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●勝新太郎の映画「影武者」降板騒動
1979年、黒澤明監督が「影武者」の製作を発表
この時すでに数々の世界的映画賞を獲得していた黒澤監督
しかしこだわりの演出による読めないスケジュール
膨大な製作費の資金繰りがつかず配給会社からは敬遠される存在に…
世界の黒澤は自殺未遂をするまでに追い込まれていた
すると「なぜ黒澤に映画を撮らせないんだ!」と海外から手を差し伸べた2人の巨匠が、フランシス・F・コッポラとジョージ・ルーカス
黒澤を敬愛する2人の尽力によりアメリカの配給会社のバックアップを受けた「影武者」
当時、日本史上最高の製作費14億5千万円をかけた超話題作
「メインの武田信玄役はこの男しかいない」とオファーしたのが勝新太郎
勝新太郎も「黒澤さんなら大丈夫!何の心配もない」と承諾
誰もが映画「影武者」の成功を信じて疑わなかった
しかしクランクインからわずか2日…世界の黒澤と勝新太郎が大ゲンカ
当時のマスコミが伝えたその理由は勝新太郎が家庭用のビデオを持ち込み、自分の演技を撮影しようとしてから
黒澤監督に撮影を止められた勝は「何がいけないんだ」と反発
黒澤監督の制止も聞かず本来の撮影をボイコット
勝の代役は仲代達矢が務める事に
こうして2人の天才による世紀の超大作は夢と消えた
当時のワイドショーは降板の原因は世界の黒澤を差し置いて演出に口を出し始めた勝新太郎のワガママと報道
●降板騒動を引き起こした「たったひとつの誤解」
勝新太郎がビデオカメラを回していた本当の理由は「自分の演技を確認したかったから」ではない
「影武者」の撮影現場にいた息子:鴈龍によると、お世話になった恩人に自分の甲冑姿を見せたかったから
ほんの些細な誤解から生まれた「影武者」の降板騒動
勝新太郎は天下の武田信玄になりきっていた…役に没頭するあまりの喧嘩であった
2人の天才による些細な行き違いが原因だった
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