やりすぎ都市伝説で紹介
●水戸黄門が旅した本当の理由
助さん角さんを連れて諸国を旅する水戸黄門はフィクション
水戸黄門が関東を出たと云う記録はない
戦国時代に活躍したある武将2人の美女を争う関係からこの話が生まれたとされている
その一人が関ヶ原の合戦まで水戸を治めていた佐竹義宣
佐竹義宣は、関東の美女を全員水戸に集めたほどの女好き
当時、美女の多い水戸は憧れの地だった
これを苦々しく思ったのが徳川家康
何としても水戸の地を手に入れたい、と思っている時に起きたのが関ヶ原の合戦
徳川家康の勝利となった関ヶ原の合戦
佐竹は西軍、東軍、どっちつかずの立場をとっていた
家康は佐竹に対し「お前は西軍でもなく東軍でもない。下手したら西軍の裏で糸を引いていたのでは?」と難癖をつけ、佐竹を東北のある地方に送った
念願の水戸を手に入れた家康は意気揚々と水戸に乗り込むが、水戸に美人が全くいなかった
佐竹は水戸の美人を全て連れて東北のある地方に移動
ブチ切れた家康は佐竹に、働き手の女子を水戸に送ってくれと頼む
東北の地方に飛ばされた佐竹は、ブサイクな若い女子を送りつけた
佐竹が移動させられた地と云うのが秋田
水戸にはブサイクな女子ばかり
水戸を治める事になった徳川光圀
なぜ水戸には美人がいないのか?と常に嘆いていた
美人探しに地方に行きたいと漏らしていた
それを聞いた家来は、美女探しの旅に行きたいと言っている、とは伝えられず“世直しの旅に出る”と表向きの噂が広まった
これが世直しの為に旅をした水戸黄門の話につながる
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