カンブリア宮殿で紹介
注文殺到!大人気の「神子原米」
隠れた人気ではあるが熱狂的なファンを持つお米
産地は能登本当のつけ根、石川県羽咋市神子原
棚田の原風景が広がる山間の里
ここは数年前までは限界集落だった
限界集落とは住民の半数が65歳以上の高齢者となり、そのままでは消滅の危機にある集落の事
日本の限界集落は増える一方、その数は今や1万カ所以上
若返りに成功した例はほとんどない
神子原もそんな崖っぷちの集落だった
●消滅危機から脱出した奇跡の村
神子原米は品種で云えばコシヒカリ
1キロ850円と魚沼産コシヒカリに迫る値段
毎年新米はスグに完売する人気ぶり
神子原はこの米で限界集落から脱出した
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奇跡の仕掛け人は羽咋市役所 課長補佐:高野誠鮮
高野誠鮮いわく
「クライアントが住民であるという意識がある、「こんな会社でいいのか?」という疑問を抱かない公務員はおかしいと思う。普通の公務員が普通の会社だとすうならば多分すぐ潰れる」
神子原は山間で寒暖の差が大きく、上質な湧き水にも恵まれているため甘みのある米が育つ
棚田で採れる米は美味しいと評判だった
しかし良い米が採れるのに農家の年収は全国平均350万円に対し、87万円
以前、神子原の米はすべて農協を通して売っていた
そこでは単なる石川県産の米と云う扱い
値段は農協の言いなりだった
このままでは神子原の農家に未来はない
高野誠鮮が出した答えは「米を直売するしかない」
2004年、高野は農家を公民館に集め、説得を始める
農家の為を思っての提案だったが賛成は160軒中3軒だけ
それでも高野は諦めず農家と「では私が米を売ったら皆さんで米を直売する会社を作ってください」と約束した
米を売るために高野が真っ先に手をつけたのがネーミング
「能登 神子原米」と打ち出し、羽咋市役所から売り出した
ところが1年目は全く売れず
そこで次に考えた手は“その人が食べるだけでニュースになるような大物に食べさせること”
それはローマ法王
「神の子の原っぱ」と書く神子原の米を神に仕えるローマ法王に献上できれば話題になる
高野は早速バチカンのローマ法王に手紙を書いた
“私たちのお米を召し上がっていただく可能性は1%もないのでしょうか?”
すると数か月後、突然電話が鳴った
「明日、東京の大使館に米を持ってきてください」
高野はすぐさま当時の市長に東京までの同行を願い出た
2005年、ローマ法王への毎年の献上が許可された
それは小さな村が起こした奇跡だった
ニュースは日本中を駆け巡り、多くのメディアで報じられた
このPR効果は絶大
直売をはじめて2年目にして神子原に全国から注文が殺到した
こうして神子原は限界集落を救うブランド米となった
2007年、農家が出資した直売会社「神子の里」設立
これで農家は自分たちで決めた値段で米を売れるようになった
しかも農協に売っていた時の約3倍
この成功はさらに村を変える
住んでみたいと思う人が現れ、移住した年に子供が生まれた
神子原で子供が誕生したのは18年ぶりだった
高野の経歴は異色
30歳までは東京でテレビの放送作家
実家のある羽咋市に戻ってきたのは寺を継ぐ為
彼は41代続く寺の住職でもある
1984年、市役所の臨時職員として採用された
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