爆報!THEフライデーで紹介
●逸見政孝の借金12億円の顛末
国民的人気アナウンサー:逸見政孝
1970年、妻:晴恵と結婚
後に芸能界に入る太郎と愛の2人の子宝に恵まれた
その後、フジテレビのアナウンサーからフリーに転身
「クイズ世界はSHOW BY ショーバイ!!」や「平成教育委員会」などレギュラー番組は7本
当時、誰もが認める好感度ナンバー1のアナウンサーだった
フリーに転身後の1992年、東京の世田谷に念願だった一軒家を建築
130坪の敷地にレンガ造りの3階建て
さらにキッチンやリビングなど妻が使いやすいように逸見が設計から内装まで手掛けた
しかし、家を建ててからわずか10か月後、報道陣の前でガンに侵されている事を告白
記者会見から3か月後、帰らぬ人に…
夢の新居に家族と暮らしたのはたった4ヶ月
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最後まで生還することを信じていた逸見は遺言状を残すこともなかった
妻と子供に残されたものは、家を建てるために借りた借金12億円
逸見の生命保険と預貯金をかき集めても7億円
差引5億円の借金
専業主婦だった妻に返すあてもなく金目のものはすべて売り払った
借金を返済する唯一の方法は自宅売却
しかし妻は意外な決断をする「どんなことがあっても家は手放さない」
妻にとって、この家こそ愛した夫がこの世で成功した唯一の証だった
しかし現実は厳しかった5億円の借金の利息だけでも月数百万円
専業主婦だった妻に払うあてはなく子供たちに隠れ、膨れ上がる借金を計算していた
たまたま検診した定期検診で医師から子宮頸がんを宣告される
さらに血液のガンと呼ばれる骨髄異形成症候群を併発
病に蝕まれた身体で5億円もの借金を返せるはずもなかった
ガンと必死に戦う彼女にある転機が訪れる
実は逸見の死後、夫の壮絶な闘病生活や思い出を綴った本を出版
そのおかげで、ガンにまつわる講演の依頼がくるように
そして自らの過酷な治療体験を語り、講演は大反響を呼び、依頼が殺到
闘病しながら年100回を超える講演は楽なものではなかった
講演終了後には借金を減らす為、手売りで本を販売
そして芸能界に入った2人の兄妹も母親と共に家を守るため、毎月の給料を母親に手渡した
少しずつではあるが家族の力で借金を減らしていった
しかし、晴恵は10万人に1人といわれる肺胞蛋白賞を発症
2010年、家族の思い出が詰まった自宅で密葬
晴恵は自分の生命保険で借金を返済した
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