たましいの授業Ⅱで紹介
川越達也
代官山にある「TATSUYA KAWAGOE」を経営
川越は父親に対して物心ついた頃から嫌悪感を抱き、
自分の父親だと認めたくない…
「父親じゃなかったらいいのに」と思うような子供だった
川越の父は公務員として毎日コツコツ働き、周囲からの印象は至って真面目な人
普段家でも穏やかで口数の少ない父だった
しかし、酒が入るとその性格は一変…酔っ払っては時に母に暴言を吐いたり、手を上げたり
そして酒に酔った父の常軌を逸した行動はおさまることを知らず、子供だった川越や弟にまで暴力を振るった
40年生きてきて父親とは100文字も言葉を交わしていない
何かが憑依したような人格が変わった父親を見て、いつも恐怖だった
とにかく子供の時は恨んで恨んで憎んでいた
高校卒業後、地元宮崎を出て料理の道を志した川越
手に職をつけて自分で食べていける大人に1日でも早くなり、母親を引き取る、何かあった時に面倒をみてあげられる大人になりたい、そして弟も面倒みてあげられる大人になりたいというのがきっかけ
料理が大好きかというと好きではない
料理が出来るから仕事にした
「早く一人前になって母を楽にさせてあげたい…」
その後、川越は28歳の若さで独立
一方、2歳年下の弟は地元宮崎を出て、一時は兵庫、園田競馬場でジョッキーとして活躍
27歳でジョッキーを引退した後は新しい人生を探して挑戦を続けていた
そして7年前の6月25日、最愛の弟を事故で亡くした
あまりにも早すぎた弟との別れ
皮肉にも弟の死が大切なことを教えてくれたと云う
弟の死から数日後、家族は久しぶりに再会していた
生前住んでいたアパートに両親と共に向かっていた時の事
悲しみにくれ泣き続ける母、そして川越が憎み続けた父
家族のことを嫌いだと思っていた父が泣いていた
父の涙、川越にとって信じられない光景だtt
これまで父を拒んできた理由、「父は自分も母も弟も愛していない」と思ってきたから
大切な弟を亡くさなければ、こんなことにも気づけなかった自分を川越は悔やんだ
弟が住んでいたアパートに入ると英語の勉強をしていたことが分かった
弟はジョッキーをやりたいとロンドンでの復活を計画し、英語の勉強を続けていたと云う
川越の夢は弟が行きたかったロンドンに、いつかお店を出すこと
スポンサーリンク
コメント