たけしのニッポンのミカタで紹介
●タカラジェンヌから医師へ
救命救急医:銘苅美世
友達とたまたま観に行った宝塚に憧れ、
1992年、15歳の時に30倍の難関を突破し宝塚音楽学校へ入学
2年後、第80期生として宝塚歌劇団に入団
花組に配属され「芽衣かれん」という名で初舞台をむかえる
手塚治虫原作の「ブラックジャック」のストーリーに欠かせない「ピノコ」役を初舞台で抜擢
39名いた80期生の中、初舞台で役がもらえるのはほんの一握り
その後も娘役を中心に宝塚で活躍
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ある日特別養護老人ホームへ慰問に行った時の事
元々、お爺ちゃんっ子でお年寄りが大好きだった
宝塚での人生は充実したものだったが、歌や踊りで喜んでくれるお年寄りが医療の場では苦しんでいる事を知る
何とかしたいとの思いから老人医療に興味を持ち医師になる事を決意
彼女の決意は固く、7年間過ごした宝塚歌劇団を22歳で退団
ただ、医師を目指すと決めたものの当時の学歴は中学卒業
医師への道は想像以上に険しい物だった
机に向かって勉強する習慣がなかった彼女は、まずは中学1年生のドリルを使い、時計を見ながらなんとか5分間机に向かい勉強する特訓から始めた
その後、通信教育で大検を取得
1年間、一般の塾に通いながら1日8時間ほどの勉強を続け、社会人の受験を受け付けていた東海大学医学部を受験
しかし結果は2年連続、不合格
それからは眠りにつく前の僅かな時間も勉強
風呂場にまで参考書を持ち込み全ての時間を勉強に費やした
その結果、決意から4年目数えきれないほどの参考書を使い、勉強に費やした時間1万5000時間以上
見事、東海大学医学部に合格した
そして33歳で医師となった
宝塚歌劇団を辞めてから11年の時が経っていた
現在は医療の基本を学ぶため、志願して最もハードな救命救急センターに勤務
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