●元オウム真理教信者:菊地直子の潜伏17年間
1971年、埼玉県生まれ
関西でも有数の進学校に入学、陸上部に所属
しかし、足を怪我し治療のためヨガ道場へ通い始めた
オウム真理教へと入信したきっかけ
1989年12月に家族の反対を押し切り、オウム真理教に入信
1990年5月オウム真理教に出家
麻原彰晃を教祖と崇め、過激な活動と雄弁なパフォーマンスを繰り広げていたオウム真理教
「厚生省」に所属していた菊地容疑者は得意のランニングを活かし、東京国際女子マラソン、大阪国際女子マラソンにも出場
オウム真理教と大きく書かれたゼッケンを身に付け、「走る爆弾娘」の異名を持つ
1995年3月20日、地下鉄サリン事件では13人が死亡、6300人が負傷した
菊地容疑者はサリン製造の手助けをされていたとされる
1995年5月5日の新宿駅 青酸ガス事件、1995年5月16日におきた都庁郵便物爆弾事件の関与の疑いも持たれている
特別手配されてからは
地下鉄サリン事件の実行犯:林康夫死刑囚と共に東京を離れた
1995年5月、青森県弘前市に向かう
1995年6月、林康夫死刑囚と共に千葉県市川市のアパート
1995年6月、愛知県名古屋市と転々とした
1996年11月、埼玉・所沢市のアパートで高橋克也容疑者らと潜伏
警察が踏み込んだ時、すでにアパートはもぬけの殻だった
室内からは菊地容疑者が記したとされるノートが見つかった
そこには警察に出頭するべきかをめぐり仲間割れが起きたことなど、葛藤する心境も記されていた
「出頭すべきか出ないべきか、出たら親に迷惑がかかる。実家に電話をしたいけどできない…林さんと会いたい…」
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その後、新横浜や川崎のホテルを転々、京急大師線沿いのアパートで3、4年間、高橋克也容疑者と同居
さらにと神奈川・JR川崎駅近くのアパートで2006年まで同居していた
高橋寛人は7年前に横浜市内で派遣社員をしていた際、素性を隠した「櫻井千鶴子」と名乗る菊地容疑者と知り合った
2人は次第に親しい関係になっていったと云う
その半年後、高橋寛人容疑者が菊地容疑者にプロポーズすると
菊地「結婚できません。実は私は菊地直子です」
突如、事実を打ち明けられた
それにも関わらず2006年から4年間、菊地容疑者と東京・町田市内で同居を開始
2010年12月からは神奈川・相模原市内の民家(家賃3万円)に引っ越し、介護の仕事を一緒にしていたと云う
外観からは想像できないが、15~16畳ほどある部屋はキレイにリフォームされておりキッチンや風呂も付いている
その部屋からは未使用の携帯電話7台、「櫻井千鶴子」名義のキャッシュカードと名刺、ホームヘルパー2級の資格
そして、町田市で同棲を始める前に写真館で撮影したと云うウェディングドレスを着た写真が押収
菊地容疑者と高橋寛人容疑者は事実婚状態で指輪も渡されていたと云う
仕事先の女子会に参加したり、メダカに餌をやり、ウサギを可愛がっていた
2012年6月3日朝、警視庁に一本の電話が入る
「菊地容疑者に似た女が相模原市内の民家に潜伏している」
情報を受け捜査員が張り込む
午後8時、菊地容疑者がコンビニ袋をさげ帰ってきた
捜査員「菊地か?」
菊地「はい」
声をかけられた菊地容疑者は自分が菊地直子であることを認め、素直に任意同行に応じた
午後9時半、警視庁に移送
午後10時半、神奈川・大和警察署に41歳男性が出頭
「菊地容疑者と一緒に住んでいた」
男は自称会社員:高橋寛人容疑者犯人蔵匿の疑いで逮捕された
「(高橋)寛人と付き合って愛するようになり、この生活を変えたくなかった。逃げなくてよくなってホッとしている」と菊地容疑者は供述している
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