サタネプ☆ベストテンで紹介
●全財産を失い…自殺未遂まで追い詰められたジャガー横田
1977年、女子プロレス全盛期にデビューしたジャガー横田
19歳で世界王者に輝くと、4年10か月に及び王座に君臨
一躍女子プロレス界の大スターとなった
1985年、名実ともにピークを迎えていた彼女は年間300試合の超過酷なスケジュールをこなしていた
23歳にして月収は500万円を超えていた
ジャガーは常に後輩たちの目標となるようリングの外でも王者の振る舞い
そのため、誰と何処に行くにも会計は全てジャガーの現金払い
そして一人暮らしの超高級マンションには1度に100着は買う大量の洋服がズラリ
いつも通りジムで練習をしていたある日、
「ジャガー、覚悟はできていると思うが、お前もそろそろ引退だ。心の準備をしておけよ」
かつて女子プロレス界には25歳に達した選手、もしくは在籍から10年経った選手は引退すると云う暗黙のルールがあった
この時、ジャガー24歳、在籍から10年が経とうとしていた
1986年、ジャガー横田は引退
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これまでの超過密スケジュールに、チャンピオンとしての重責
彼女はそんな生活から解放されるのに少しの安堵を覚えていたと云う
当時の貯金額3000万円
彼女が次に選んだ仕事は後輩レスラーを育成するコーチ
1か月後、ジャガーに初めての給料
現役時代、月収500万円あった彼女に与えられた給料は16万円
後輩たちに誘われれば現役時代と同じように食事を振る舞う
貯金を切り崩して後輩たちに奢り、高額な家賃を払い続けた
引退して時間ができたことをきっかけに現役時代を知る人たちとの食事会が増えていた
自分に会う事を喜ぶ人たちに食事代を払わす訳にはいかない…
結局、会計はジャガーが現金払い
追い打ちをかけるように…世界チャンピオンまで昇りつめたジャガーの下には様々な関係者から結婚式の招待状が届いた
多い時には月に10件もの祝儀を包まなければならない、金額は10万円
このような生活が2年ほど続き、その結果3000万円あった貯金のうち2000万円を散財した
周囲への出費を押さえられないジャガーは高級マンションを出て、人知れず家賃が半分のマンションへ引越し
久しぶりにかかってきた母親からの電話
最初は取り留めのない話をしていた。しかし…
「聞きづらいんだけどさ、あなたお金大丈夫なの?本当は無理してるんじゃないの?引退してお給料だって現役の時みたいにもらえるわけじゃないでしょ。お母さんには何でも話していいのよ。本当に大丈夫なの?」
娘を思う母親にはすべてを見抜かれていた
母親の優しい気遣いの言葉が裏目に出る
母親の不安を取り除くため、ジャガーは驚きの行動をとる
「お父さん、お母さん、これでマンションでも買ってよ」
マンション購入費として現金をプレゼント
その額1000万円、ジャガーに残された全財産
全財産が消えたこの時から、不思議なことに周囲からの誘いはなくなった
1990年、一児の女子プロレスブームは去り、次第に練習生の数も減少
プロレス人気の低迷でジムの経営が悪化し、ジャガーは解雇された
次の職業はスポーツショップの店員
時給640円のアルバイトをはじめる
しかしジャガー横田に気付く客も多く、好奇の目に晒されることも…
耐えられなくなった彼女はスポーツショップを去ることに
次に選んだ仕事はマスクと帽子で顔を隠すことのできるハウスクリーニングのアルバイト
精神的にも金銭的にも窮地に追い込まれていた
プライドから弱音も言えず、親にも正直になれない、自分の存在意義すら見出せない
彼女の心は絶望に満ちていた
生きる目標を失ったジャガー
そんな中…彼女の下にある出来事が起こる
このころ、女子プロレスは様々な団体が増え、人気を取り戻しつつあった
さらにプロレス人気を上昇させる起爆剤の一つとしてジャガー横田復帰のオファーがあった
1994年11月20日、ジャガー横田復帰
9年ぶりのリングとは思えない動きで観客を魅了
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