サタネプ☆ベストテンで紹介
●元オリンピック選手:池谷幸雄
トップアスリートに忍び寄る悪魔の手口
1988年、ソウルオリンピック
個人と団体でそれぞれづメダルを獲得
1992年、バルセロナオリンピック
団体で銅メダル、個人で銀メダルを獲得
1992年、引退後タレントへ転身
バラエティ・スポーツ番組で活躍
テレビで欠かせない存在になった
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1992年、大学卒業と共に体操界を引退し、タレントとして順調なスタートをきった池谷
そんな池谷に懐かしい男から「会いたい」という連絡が入った
男は体操選手時代に最も信頼をおいたスタッフの一人
体調管理からボディケアと池谷を陰で支えてくれた頼れるブレーンだった
大学生の頃は池谷の芸能界入りを強く後押ししてくれた
食事などすべておごってくれてアニキ的存在だった
そんな彼に誘われ、半年振りのの再会
「スポーツに特化した「スポーツ整形外科」を開こうと思ってる。一緒にしないか?」
「分かりました。ぜひ一緒にがんばりましょう」
さっそく2人は開業に先立ち、会社を立ち上げ、池谷が社長に就任した
タレントとしての収入も安定していたことから資金面も全面的に池谷が持つことになった
タレント池谷の拠点は東京だったが、クリニックは大阪で開業することになった
このころからスポーツ番組などでも活躍を始めた池谷は、東京でのタレント活動が多忙を極め、大阪に行くどころか、クリニックの事はすべてパートナーが切り盛りすることに
そこで彼は自らの提案で週に1回上京し、池谷に事業の進展具合を報告していた
開業準備が進むにつれ、クリニックに必要な設備代や人件費など数千万円のお金が飛ぶように消えた
しかし懸命なパートナーの姿にお金を惜しむことは出来なかった
さらに…
「ただもう一つどうしても購入しておきたいものがある」
それはパートナーがクリニックに絶対必要だと云うレントゲンだった
1000万円を超す医療機器の購入も「大丈夫、必要経費ですよ」
開業準備を始めて半年、久しぶりに時間が取れた池谷はクリニックのある大阪へ
準備は順調なはずだった
間もなくオープンすると云うこのころから奇妙なことが続出する
支払いは済ませていたが、業者のミスでクリニックは開業にほど遠い状態
翌月の完成を約束し合い、池谷は大阪を後にした
すると1週間後「薬の仕入れる量、間違っていたみたいやねん。ホンマすまんけど買い足すのに300万円入金してくれるか?」
さらにその後も「ホンマすまんけど500万円貸してほしいんや」
こうしてあれよあれよと云う間に数千万円の送金が行われた
そして開業が数日と迫ったある日、友人から衝撃の言葉を耳にする
「悪い事は言わない!あの人は信用しない方がいいよ」
当時、池谷がスター選手だったが故、周りが伝えなかったパートナーの悪評
信じたくはなかったが池谷は内緒で大阪の事務所へ
そこには巧妙に細工された二重帳簿が…
さらにデタラメの領収書
そして池谷にまったく覚えのない1000万円の借用書
しかしその欄には書いた覚えのない池谷の署名が…
パートナーが巧妙だったのはすべてが嘘ではなくいくつかは本当に購入、それが事件の発覚を遅らせた
事件発覚から数日後、池谷に何も知らないパートナーから連絡が…
「あとスタッフの制服を300万円で揃えればオーピンや」
事情を聞くため、池谷は彼を東京に呼び出した
何故かパートナーの叔父と名乗る男を伴い上京、同席した
奇妙な状況の中、事件の追及が始まったが、その叔父を名乗る男がはぐらかすだけで、話が一向に進まず、後日改めてパートナーを呼び出すことに
だが、この日を境にパートナーと一切連絡が取れなくなってしまった
それ以降、20年間音信不通のため、彼がどのようなつもりだったのか、事実関係は確認できていない
当時、池谷は裁判も考えたが、タレントとしてのイメージ考慮し、裁判はせず泣き寝入りするしかなかった
池谷が失った金額は1億円
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