カンブリア宮殿で紹介
年間100万人が殺到するトロッコ列車
●嵯峨野観光鉄道の人気の秘密
嵯峨嵐山保津川のほとりを行くトロッコ列車
トロッコ列車は5両編成
7.3キロの道程を25分かけて運行している
トロッコ嵯峨→トロッコ嵐山→トロッコ保津峡→トロッコ亀岡
始発駅は京都駅から快速電車で11分のJR嵯峨嵐山駅の隣:トロッコ嵯峨
アクセスの良さも手伝って年間100万人が小さな列車を求めてやって来る
JR山陰本線の区間として運行していたがカーブが多すぎたため、新たなルートにとって代わられ廃線となった
線路は背丈ほどもある雑草に埋もれていた
しかし、それを一からぶち壊し、一から築き上げたのが
嵯峨野観光鉄道 社長:長谷川一彦
元はJR西日本のエリート幹部社員
43歳の時にこの子会社への左遷を告げられた
「ありきたりの鉄道では駄目だ」まず長谷川はそう思った
そこで目指したのがテーマパーク
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・駅に入ると高い天井に大きなシャンデリア、ゴミ一つ落ちていない清潔感あふれる空間
構内の片隅にあるトロッコを押す人形のモデルは長谷川一彦
列車は1時間に1本で運賃は大人:600円 小児:300円
・窓のないオープンな特別車両
天井はガラス張り、座席は木製で小さめ
・乗客が遅いと云うトロッコ列車のゆったりとした速度
当初は時速30キロで走っていた
しかし、それでは風が強すぎ景色もゆっくり楽しめなかったため、あえて25キロに抑えた
トロッコ保津峡駅の裏手にはダイナミックな吊り橋がかかっている
・春限定のお楽しみ「桜のトンネル」
・そして社員のもてなし
ある社員は美空ひばりの歌を歌い、ある社員は中国の団体客向けに中国語で歌を歌う
駅構内の喫茶店では幹部社員によるマジックショー
嵯峨野鉄道では社員が客と一緒に楽しんでいる
●成功の要因とは?
1、テーマの明確性→京の四季を肌で感じる
2、値ごろ感
3、アクセス
4、もてなし
5、継続した投資→継続投資こそ新鮮さの維持
嵯峨野観光鉄道では乗客数の目標を達成した日に「大入り袋」が出る
中身は1000円だが、去年は104回も出たと云う
1971年、長谷川は旧国鉄に入社
キャリア組としてエリート街道を走っていた
1987年、国鉄が分割民営化されJR西日本に
長谷川は駅の売店やレストランなど管轄する部署の課長として100人を超える部下を率いていた
ところが43歳の時、突如、子会社への出向を命じられた
そこは社員たった8人の嵯峨野観光鉄道だった
そこはすでに廃止になっていた路線
しかし京都保津川の絶景は捨てがたい
そこでJRは観光路線として再生計画をスタートさせた
だが、JRが出したお金はたったの2億円
4両編成の車両と、小さな駅舎を作ると手元には100万円しか残らなかった
もって3年…周囲の反応は冷ややかだった
社員は全員、JR西日本からの出向だった
みな左遷されたと云う意識が強かったと云う
開業までに残された時間は半年足らず、長谷川たちには多くの課題がのしかかっていた
まずは沿線の整備
時には命綱をつけて斜面の草を刈った
ベテラン運転手でさえ経験の無いトロッコの運転
貨物用を客車に改良しているので衝撃が強く、どうすれば快適に走れるのか?練習を繰り返した
さらに頭を抱えたのが営業
社員はみな技術者あがり
愛嬌など振りまける訳でもなくパンフレットを置いてもらえるよう、とにかく頭を下げてホテルなどをまわった
1991年4月27日、開業
トロッコ列車は客であふれた
初年度は69万人が詰めかけた
しかし、長谷川はここで油断しなかった
長谷川「最初の年は珍しい、2年目はフィーバー、3年目でつぶれる」
恐れていた3年目のジンクスに備えるため
「客に飽きられない絶景を作り出せ」と桜やもみじ合わせて7000本を植えた
この植樹作戦が話題となり客がまた押し寄せた
こうして長谷川は3年目のジンクスを乗り越えた
いまでは年間100万人が訪れる
売上高も右肩上がり
その実績により2004年には日本の観光カリスマ百選に認定
そして2010年、京都創造者大賞を受賞した
長谷川「成功の反対は「失敗」と言う。しかしビジネスマンの世界で成功の反対は「何もしないこと」ですよ」この年になっても毎日「何かないか」と考えている」
・ジオラマ京都JAPAN
トロッコ嵯峨駅の敷地内にある日本最大級のジオラマ
再現した京都の町を電車が走る
実際に走っていたブルートレインに乗り込み、ジオラマの中を走っているブルートレインを運転できる「ブルートレイン運転体験」1000円が人気
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