●33歳で亡くなった母が5歳の娘に遺した命の味噌汁
「はなちゃんのみそ汁」著:安武信吾 千恵 はな
福岡県福岡市、台所で鰹節を削っているのがはなちゃん
いまはお父さんと2人暮らし
毎朝、はなちゃんは台所に立ち、味噌汁を作る
母が教えてくれたから…
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はなちゃんのお母さん:千恵さんは4年前にガンで亡くなった
●なぜ千恵さんは幼い はなちゃんに味噌汁作りを教えたのか?
千恵さんにガンが見つかったのは25歳の時
当時、彼女には婚約者がいた
後に夫となる慎吾さん
2000年7月、左乳房全摘出手術
しかし術後、医師から宣告されたのは
「結婚しても子供はあきらめなさい」
抗がん剤の影響で卵巣が機能せず妊娠は厳しいとの話だった
2001年8月5日、その後、2人は結婚
そして1年が経ったある日、奇跡が起きた
千恵さんのお腹に小さな命が宿った
2003年2月20日、長女が誕生
名前は「はな」
親子3人の幸せな日々は長くは続かなかった
千恵さんの肺にガンの転移が見つかった
「今自分に何が出来るのか?」千恵さんはブログを立ち上げた
タイトルは「早寝早起き玄米生活 ~ガンと娘と、時々旦那~」
そこには自らの死と真正面から向き合う千恵さんの決意がつづられていた
“私はガンになった後にムスメを授かりました。だから、この子を残して、死ななければなりません。だとすると、心残りがないように、死ななければなりません。いつ別れが訪れるのか分からない。私はこの子に何をしてあげられるのか?”
声楽家だった千恵さんは抗がん剤の副作用と闘いながら、
命の大切さを歌うコンサート活動を続けた
“私がいなくなってもこの子なら大丈夫、そうなるために今できる事は…”
“今日は娘の誕生日。まだ早いけど、4歳になった今年は、料理を少しずつ教えていこうと思う。プレゼントはエプロン。”
千恵さんは4歳のはなちゃんを台所に立たせた
食べることは生きること
ご飯を作って食べる、それが生きる力の根本
だから幼い娘であっても迷わず包丁を握らせた
私たちは命を頂いて生きている、それを娘に料理を通じて学ばせたかった
“娘に出会えたことは、私がこの世にいたという証だ。自分より大事な存在に出逢えたことは、私の人生の宝。私の人生の目的は、これだったのかな。”
そして別れの時が訪れた
料理を習い始めて1年半
はなちゃん5歳の夏、千恵さんは33歳の若さで天国へと旅だった
千恵さんが亡くなった後、はなちゃんが決めた自分の仕事は…
朝することとして、顔洗う、お祈り、犬の餌やり、散歩、手洗い、味噌汁作り、朝ご飯、歯磨き、ピアノ、トイレ、保育園
はなちゃんは毎朝、台所に立つ
かけがえのない親子の絆と命の大切さを教えてくれるはなちゃんの味噌汁
夕食の買い出しにも行く
料理のレパートリーも増えた
今夜のメニューは豚の肉じゃが
「お母さんみたいに料理も作れて歌も歌える人、ハナミズキも最後まで歌えるようになりたい。お母さんが大好きな歌だから」
あなたは愛する人に何を遺せますか?
娘から亡き母への手紙が読まれた
“ママへ
はなはね、ママに伝えたいことがあるんだよ。それはね、お弁当が全部作れるようになったこと。びっくりしたでしょ。おかずは婆から作り方を教えてもらった玉子焼きと、パパから教えてもらった豚肉とピーマンの塩麹炒。ごはんにはゆかりのふりかけをかけたよ。今度作る時は、後片付けも全部するって、パパと約束したんだよ。お風呂の掃除と洗濯は少しサボっているので、4年生になったら頑張る。約束するから、天国で見ててね。人の悪口を言わない。笑顔を忘れない。全部ママが教えてくれたこと。難しいな、嫌だな、困ったな、と思っても何とかなるもんね。「切り替え切り替え」ってママがよく言ってたもんね。はな、もう泣かないよ。頑張るよ。安武はな”
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偉い、としか言いようが見つからない。
投稿情報: 87da | 2012/07/10 22:41
偉いね。頑張ってはなちゃん!
投稿情報: サリー | 2013/03/06 13:58