爆報!THEフライデーで紹介
過激すぎる朝ドラ女優:遠野なぎこ
芸能界史上最速、72日で離婚
1979年、神奈川県で誕生
4人兄弟の長女として生まれた遠野なぎこは近所でも評判の美少女
そのため、6歳から活動を開始
ドラマなど数々のエキストラなどを経て、
1991年、当時12歳「鳥人戦隊ジェットマン」で本格デビュー
「当時はやりたくてやってるというよりも親の期待に応えるためにやってるって部分が多かったから、辞める訳にいかないし、泣き言をいうわけにもいかないし、耐えなきゃって…楽しい思い出よりもしんどかった思い出の方が多い」
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天才子役として活躍していた時代から遠野なぎこに大きな期待を寄せていた母
母は遠野に期待するあまり他の兄弟より厳しく育てた
何よりも子供ながらに気にしていたのはいつも親の顔色
長女としての責任感、人一倍まじめな性格、母に褒められたい一心で必死に耐えた
遠野が通った母校:中野島小学校
実は遠野は小学生時代、壮絶なイジメにあっていた
「今考えれば可愛いものとは思う、例えば石投げられたり、すれ違い様に「ブス」とか「死ね」とか」
当時子役として活躍し学校を休みがちだったため、イジメの標的にされた
妬み、嫉妬、イジメはエスカレートしていった
「机にかけてる置きバックは朝行くとビリビリにちぎられていたり…」
イジメから逃げるように学校を休んだ
母にイジメられている事を隠し、笑顔で家を出た後、物陰から母親が家を出るのを確認、再び家に戻り、「仕事で学校を休ませます」と親のフリして学校に電話、その後、屋根裏で1人身をひそめていた
しかし学校から逃げても執拗なイジメは続いた
留守番電話には「何逃げてんだよ!お前だけじゃねぇぞ。家族全員ぶっ殺してやるからな」
イジメが幼い少女を精神的に追い詰める中、遠野は子役業に没頭した
誰からも愛されないなか、演技を頑張れば母親だけは愛してくれる
母親に褒められるいい子を演じ続けた
しかし誰にも言えない重荷は少女の精神を蝕んでいった
●突然のドクターストップ!女優引退
1995年、当時15歳
野島伸司脚本のドラマ「未成年」
主人公のいしだ壱成に行き過ぎた片思いをする役を熱演
遠野は売春に手を出す難しい役を熱演
「未成年」やったあたりから気持ちのコントロールが上手くつかなくなって…」
女優引退
「役が過激だったので精神を病んで、この後3年間仕事休んだんです」と後に語っている
それからは全てから逃げるように暮らし、商品の棚卸や販売などのアルバイトで生計をたてた
しかし、幼いころから女優としてしか生きることが出来なかった遠野に残された道は一つしかなかった
●女優復帰…そして母との絶縁
1999年、NHK連続テレビ小説「すずらん」で主演の座を掴んだ
女優として生きることで再び幼少時代から付きまとうトラウマがよみがえった
誰からも愛されず母だけの愛を求めた幼少期
「認められたい、愛されたい、遠野なぎこっていう部分だけじゃなく、秋美(本名)という部分をいつか見てくれないか…」
トラウマを吹っ切るため、遠野が選んだ道は母との決別
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解決!ナイナイアンサーで紹介
NHK朝の連続ドラマ「すずらん」のヒロイン女優:遠野なぎこ
●私を愛さなかった母親との確執
実は当初、児童劇団に入っていたのは遠野の弟妹だけ
遠野だけ入れてもらえず外から見学…
母親は18歳で遠野を身ごもり19歳で出産
女優になりたかった母親は夢を諦めた
「秋美が産まれたから私は好きなことが出来ない」と口にした事もあった
母親はあからさまに遠野に冷たかった
何か気に入らないことがあれば、暴力でストレスのはけ口にされた
それゆえ子供らしいわがままを言わず、楽しそうな弟たちの姿を毎日眺めていた
そんな彼女に転機が訪れる
「お姉ちゃんも子役やってみない?」
「この子がですか?」と母はつぶやいた
こうして遠野も劇団に入る事になった
児童劇団の講師は遠野の演技を褒めてくれた
母親が喜ぶ姿が見たくて必死で頑張った
子役として次々に成功をおさめていく娘とそれを育てた母
傍から見れば誰もが憧れるような母娘だった
「連れて歩くんだけど、それは人の目に触れさせるために歩くだけ、ブランドの一つとしてアクセサリーとして、私自身に興味があった訳ではない」
それでも一緒に歩くのは嬉しかった…遠野にとってその時間は大切な物だった
しかし家では母親に罵声を浴びせられる毎日
「下の二人は可愛いのに、どうしてあんただけ可愛くないのかしらね。醜い醜い」
遠野が11歳の時、父と離婚、そしてすぐに新しい男を見つけ再婚
そんな中、今も忘れないこんな仕打ちも…
「そうだ秋美ちゃん、お父さんと一緒にお風呂に入って背中を流して上げなさい」
当時、小学6年生…思春期真っ只中の遠野にとってこれほど耐え難い事はない
母に嫌われたくない…その思いで遠野は自分を殺した
さらに母が夜の仕事を始めると幼い遠野が女優の仕事の傍ら
母代わりとなって全ての家事をこなさなければならなかった
尽くしても尽くしても母からねぎらいの言葉はない
それでもひたむきに頑張った
思春期になりスタイルを気にし始めた頃…
「あんた最近太ったんじゃない?」
母の基準は50キロ超えればデブ
「食べたらすぐ吐けばいいのよ」
吐くことで体重は減っていった
異常ともいえるアドバイスを愛情と感じてしまった
これが元で摂食障害に陥る事になる
精神的なストレスによって過食や拒食など異常な食生活を送ってしまう
精神的に追い込まれた遠野は自分の存在を確認するために、
最初はリストカット…そして瓶が空になるほど睡眠導入剤を飲み倒れた
ほぼ1日意識を失っていた
この衝動的な行動も母からの愛が欲しかった故だった
しかしマネージャーが連絡しても母は来る事はなかった
母は娘の一大事より不倫相手を優先していたと云う
例え命を懸けても母を振り向かせられない悲しい現実
そして母に対し、今までになかった感情が芽生える
母親を殺す夢を毎晩のように見る事に
NHK朝の連続ドラマ「すずらん」のヒロイン役に、2000人の中から選ばれた時ですら…
「NHKのヒロイン役に決まった」
しかし母の返事は「アンタはそそっかしいから、そんなはずないんだから。もう一度確認しなさい」
今度こそ褒めてもらえるんじゃないか、と期待したが母は遠野に怒りと憎しみしかくれなかった
そんな母娘関係に疲れ切った遠野はある決断を下す
それはバラエティー番組でスピード離婚のトークをしていたわずか3年前のこと
それは自らの手でその生涯を終える事だった
首をくくるロープまで購入
そして遠野は遺書を書きはじめた
しかし、お葬式ですごい着飾った母親が悲劇のヒロインを演じている姿が想像ついた
「私が死んだら母親が主役になってしまう!」
母と決別して生きる
それ以来、母とは何年も会っていないと云う
●結婚からわずか55日で二度目の離婚
2014年6月30日、遠野は自信のブログで離婚したことを発表した
“6月28日に都内区役所にて離婚届を提出した事をご報告いたします。”
離婚の原因は、母親に形成された人格、思い描いた反面的な理想の夫婦像だろう
妻という立場を負担に感じ、心休まらない日々を送り夫婦生活を保つことが難しくなった、と綴っている
いつの間にかただの口煩い教育ママのように…、
彼の粗探しをする事にエネルギーを注いでしまっていたような、とも表現している