タイムワープ旅行社で紹介
天保10年(1839年)の江戸
この時代の将軍は第12代将軍 徳川家慶
●当時の江戸の人口は約200万人
同じ頃の世界の主な都市の人口はロンドン86万人、パリ54万人、北京90万人
江戸は世界最大の人口を誇る都市だった
●江戸の広さは山手線よりやや広いぐらい
7割が武家の土地、1割が寺院・神社、2割が町民
2割の広さとは現在の中央区ほどで、そこに160万人が暮らしていた
町民の男女の比率は女性が全体の1/3
江戸に出稼ぎに出てくる地方出身の男性が多かったのが理由
江戸には結婚できない独身男性がとても多かった
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●江戸のお金
江戸で流通していた貨幣は15種類
1文は現代のお金に換算すると約10円、一両は約5万円に相当する
当時の物価を現代と比較するとお米5㎏で2000円、かけそば一杯160円など現代と同じ感覚
庶民が1日に持ち歩いていた金額は平均300文(約3000円)
クルクルっと縛って使う道中財布に入れて持ち歩いていた
●江戸職業別年収ランキング
町民の平均年収:約60万円
武士の平均年収:約150万円
町奉行の平均年収:約350万円
千両役者の平均年収:約5000万円
将軍が自由に使えるお金:約1億円
●江戸の町
当時の江戸には2000もの町があった
大通りと呼ばれる基本的な幅は約8m
石と土を踏み固めただけのボコボコな道
雨が降るとすぐにぬかるみができて歩きにくくなるし、風が吹くとすぐに埃が舞う
そのため、江戸っ子は風呂好き
江戸全体で銭湯が2000軒以上もあった
●江戸の長屋
江戸町民の半分(約80万人)が住んでいた長屋
一般的に一つの長屋は奥行およそ16m
それを12ほどの部屋に仕切っていた
1部屋1部屋に家族2~3人ほどが暮らし、長屋一棟に約30人が生活
さらにその長屋が3~5つ集まったものを長屋街と呼んでいた
その一つの長屋街に一人の大家がいた
当時、江戸には2万以上の長屋街があった
部屋の広さは間口が2.7m、奥行きが3.6m、現代でいう6畳一間ほど
その中に台所を兼ねる土間が1畳半があったことから、一家族が実際に生活するスペースはわずか4畳半
また風呂はなく、井戸・トイレは共用
家賃は月1万3千円、町民の月収の1/4ほど
●江戸の損料貸し
損料貸しとは現代でいうレンタルシステム
借りられるものは現代よりも豊富
道具屋では鍋、釜、食器など、布団屋では布団、蚊帳などを貸出
そのほか、雨具、家具、畳、大八車などありとあらゆる日用品を借りることができた
1ヵ月のレンタル代金は商品の値段の1割
当時の着物はすべて手織りだったため非常に高価だった
そのため、江戸では古着屋が流行した
着物を新調すれば5万円のところ、古着なら最上級の着物でも1万3千円
損料貸しなら1300円で借りることが出来た
一説には男性のふんどしや女性の腰巻もレンタルされていたと云う
●江戸の旅籠
当時、全国から多くの人が江戸見物に訪れていた
その観光客の数は年間100万人以上
そのため、数百軒もの旅籠があった
安い旅籠なら1泊2食付で約2000円、見知らぬ男女同士でも相部屋で寝泊まりしていた
朝食はご飯に味噌汁、漬物といった簡単なもの
夕食は焼き魚か煮魚、野菜の煮物が付く
宿に着くと玄関先で足を洗ってもらうサービスもあったが、実は病気のチェックでもあった
洗いながら足の温度や色艶を見る
もし病気だった場合は宿泊を拒否したと云う
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●江戸庶民の1日
江戸の朝は日の出と同時に始まる
・明六ツ(6時半):棒手振り(販売業者)が長屋周辺に集まり始めるのでお母さんは食材を調達
7時、家族全員で朝食
・朝五ツ(8時):父は仕事、子供は寺子屋へ
寺子屋は現在でいう学校で、お寺でお坊さんが読み書きやそろばんを教えていた
江戸では75%の人が字が読め、識字率は世界一と言われている
・朝四ツ(10時):お母さんは掃除や洗濯
・昼九ツ(正午):子供たちが一時帰宅し昼食、その頃、お父さんは握り飯のお弁当
昼食を済ませると子供たちは再び寺小屋へ
お母さんは内職を始める
・昼八ツ(14時):子供たちが帰宅
15時にはお父さんも帰宅
おやつはかりんとうや焼きイモなど
午後3時ごろを指す「昼八ツ」が「おやつ」の語源
・夕七ツ(17時):お父さんと子供は湯屋に向かい親子水入らずで背中を流す
・暮六ツ(18時):家族全員そろって夕食
・宵五ツ(20時):就寝
江戸の庶民は現代よりも家族で一緒にいる時間が長かった
●火打石
火打金に火打石を削るように打ち付ける
摩擦で火打金が溶け火花が飛ぶ
ガマを炭にした火口に火花が落下
火口の火種を付け木にうつし、火起こし完了
慣れた人でも火を起こすのに5分以上
そのため、家庭では火が付いた炭を火鉢の灰の中に入れる埋め火をして火を絶やさないようにしていた
長屋では日常的に火種の貸し借りがあったと云う
●江戸のデリバリー
天秤棒の前後に商品の入った桶を乗せ、自分の得意先をまわる現代でいう訪問販売業者:棒手振り
一人一つの商品を扱うのが基本で野菜だけを売る野菜屋、豆腐だけを売る豆腐屋、アサリを売るアサリ屋
油や塩などの調味料、ザルや下駄、魚屋や干物屋などの日用品まで様々な棒手振りがいた
彼らは夜明けから夕方まで1日中、ひっきりなしに長屋を訪れていた
これだけ豊富なデリバリーがあったので江戸の庶民は朝食や夕食時でもわざわざ買い物に行く必要などなかった
●江戸の納豆売り
朝ご飯定番のおかずは納豆
納豆に刻んだネギを混ぜ、包丁で細かくなるまで叩いた叩き納豆
1人前8文(約80円)
そのまま味噌汁に入れれば納豆汁に
江戸の人はおかず代わりに好んで食べていたと云う
●江戸の食生活
朝炊いたご飯はおひつに保存して昼と夜も食べた
江戸時代後期は1日3食が基本
ご飯は精米した白米を食べることが定着
その食べる量は1人1日4合半、現代のお茶碗でいうと11杯分
3人家族でご飯1升以上を毎朝炊いていた
●江戸庶民の1日のメニュー
朝食:炊き立てのご飯、味噌汁(納豆、豆腐、アサリなど)、漬物
昼食:冷ご飯、味噌汁、漬物、焼き魚(または煮魚)
夕食:冷ご飯、漬物
お茶漬けとして食べることもあった
●ご飯に合う人気おかずランキング
おかず番付「料理仕方角力番附」
魚類方
3位:芝えびのからいり
2位:ハマグリむき身切干し
1位:めざしいわし
精進方(野菜類・豆類)
3位:きんぴらごぼう
2位:昆布と油揚げの煮物
1位:八杯豆腐
●お歯黒
既婚女性の証だったお歯黒
もともとは平安時代に貴族の女性が成人したことを表す化粧法だった
熱いお茶に焼いた鉄くず、粥、麹、酢、酒を混ぜ、暗い所で2ヵ月くらい発酵させる
できた液体にふし粉(タンニンを含む粉)を入れると黒く変化する
それを歯に塗るのだが、一回縫ったくらいでは黒は定着しない
真っ黒にするためには何度も繰り返し塗り続ける
完全に定着させるためには3か月間くらいの期間が必要とした
お歯黒に含まれる成分には歯の表面をコーティングする作用があったため、最近の接触を防ぎ虫歯予防としての効果もあった
お歯黒の並んで既婚女性の証として眉も剃り落していた
●江戸の水
江戸に張り巡らされた上水道の総距離は150㎞
地中に埋められた木製の水道管
多摩川などから送られる綺麗な飲み水を土地の高低差だけを利用して江戸市中の井戸まで水が送られていた
長屋の庶民たちは上水道から引き込まれた井戸の水をくみ上げ炊事、洗濯に利用
井戸が引かれていない地域には棒手振りや荷車の水屋が1樽の水を4文(約40円)で販売
●江戸の灰
家庭から出た灰は色々な用途があった
例えば食器用洗剤や洗濯用洗剤、髪を洗うシャンプー
灰のアルカリ成分が動物性油脂成分を分解する
●江戸のトイレ
当時、排泄物は貴重な肥料として農家に売られた
農民は質の良い肥料を手に入れるため江戸の街をまわっていた
長屋の排泄物の値段は6世帯で年間8万円以上とかなりの高値で売れた
その代金は大家の懐へ入る
●江戸の紙
江戸時代、紙は効果でありとあらゆる紙がリサイクルされた
紙は使用後、紙屑買いが買い取り、古紙問屋が漉き直し再生紙を作り出す
紙職人たちは煮溶かした紙が冷えるまでの時間を利用してよく吉原見物をしていた
紙を「冷やし」ている間、その気もないのに店を見てまわる、これが「ひやかし」の語源
紙は繰り返しリサイクルされる
最後に辿り着くなれの果てが最も質の悪い「浅草紙」
いまのトイレットペーパー
棒手振りによって1枚10円で売られている
●江戸の照明
江戸の庶民の家で使用した灯りは行燈
大きなろうそくは平均200文と高価で庶民にはとても手が出なかった
そこで一般的に使われていたのが、イワシから取れる魚油
そこにこゆりを入れ、ろうどくのように使っていた
魚油1升:100文(約1000円)
●江戸の歯ブラシ「房楊枝」
小枝を煮て、先端を叩き、クシですいて木の繊維を房状にしたもの
柄の部分は舌の汚れを落とす舌こきとして使われていた
歯磨き粉は房州砂と呼ばれる館山市周辺で採れた細かい粒子の砂
これにミントなど香料を混ぜて100種類以上あった
●江戸の焼きつぎ屋
江戸の庶民はたとえ茶碗が割れても直して使うのが当たり前だった
修繕するのは焼きつぎ屋
路地や長屋などで移動修理を行っていた
硝子を細かく砕いてすりつぶし続けると白い液体に変化する
これが陶器修理に使われていた白玉
乾燥させた白玉に塗料とふのりを混ぜ、接着剤として割れた箇所に塗り、破片を合わせ、窯に入れて焼きなおす
すると、ふのりの成分は熱で無くなり、ガラスの粉が溶けて継ぎ目に入り込み修復される
修繕費は160円~240円
●江戸の寿司
江戸庶民のお腹を満たす屋台
中でも寿司の屋台は独身男性に人気のファストフード店
今の寿司とは大きく違っていた
現代の握り寿司の約4倍の大きさだった
ネタは江戸湾で獲れるエビ、コハダ、タコなどを酢漬けにしたもの
寿司1個8文(約80円)
味は現代と変わらなかった
当時の寿司屋ののれんはどこも米粒だらけ
食べ終わったらのれんで指を拭くのが江戸の粋とされていた
のれんが汚れているほど客が多い人気の証
他にも天ぷら、そば、団子の屋台があった
●江戸の居酒屋
江戸には数百軒の居酒屋があった
現代と同じように縄のれんや赤ちょうちんが店先にあった
店内にはテーブルがなく客は店先に座って酒を飲んだ
つまみは1皿8文(約80円)
酒1合12文(約120円)
上酒1合24文(約240円)
●江戸のお酒
作ったお酒の量に対して税金がかけられていた
造り酒屋は税金を抑えるため味の濃いお酒を製造
居酒屋では味の濃いお酒を水で薄めて販売していた
●江戸の調味料
当時の味噌や醤油は少しでも劣化を遅らせるため、多くの塩を使っていた
そのため、現代に比べ料理の味が濃かった
●華屋与兵衛
箱寿司や姿寿司しかなかったこの時代に初めて握り寿司を発明し江戸中に名を轟かせた寿司職人
寿司にワサビを使うことも考案
江戸前寿司の元祖として昭和5年まで約100年間人気を博した
●江戸のガイドブック
江戸時代、すでにガイドブックが存在
「江戸見物四日めぐり」4日間の江戸見物プランをイラスト付きで紹介
「江戸買物独案内」2600店を掲載したショッピングガイド
●江戸の看板娘
お茶屋にはお茶汲みをする看板娘がいた
美人で評判の看板娘がいる店には客が殺到
中には看板娘見たさに50杯もお茶を飲んだ客も
お茶:1杯4~8文(約40~80円)
人気看板娘の浮世絵は飛ぶように売れた
醤油焼き団子:1串4文(約40円)
●江戸 吉原
江戸で唯一、幕府が公認していた遊郭
その広さは28000坪、東京ドーム2個分
基本的に営業時間は午前10時~午後10時まで
●江戸の夜鷹そば
夜専門で営業する屋台のそば屋を江戸では「夜鷹そば」と呼んでいた
目印は店先にかけられた風鈴
夜はほとんど灯りがなかった当時
風鈴の音をたよりに客が集った
メニューも豊富
「かけそば」16文(約160円)
「天ぷらそば」32文(約320円)
「卵とじそば」32文(約320円)
味は現代とさほど変わりはなかった
●江戸の火消し
2、3年ごとに火事のあった江戸では庶民は火事に慣れていた
そのため、火事が起きると、無駄な物を持っていなかったため、すばやく荷物をまとめて逃げ出していた
現代の消防士にあたるのが「火消し」
その消化方法は、燃えている周りの建物を壊して火が広がるのを防ぐ破壊消防
町火消しの多くは大工や鳶職で大工道具を使って建物を破壊
●江戸の復興
江戸の復興は幕府が仕切り、目を見張るほどの速さ
常に材木がストックされており、火事からわずか2日後には御救小屋という仮設住宅が建てられていた
これらの資金もすべて幕府が負担していた
炊き出しに必要なボランティアも幕府が募り、焼け残った寺や神社へ配属
幕府だけでなく商人たちも必要な食べ物や衣類を提供
火事で焼けた木材などは薪として使われ、灰や焼けた土はぬかるんだ道路の改修に利用