●昭和史を裏で動かした安岡正篤
昭和を代表する有名な総理大臣といえば、吉田茂、岸信介、佐藤栄作など
これら総理の裏にはフィクサーと呼べる人物が存在した
それは安岡正篤
古代中国の古い学問に精通している頭の切れる人物だった
幼少の頃から神童として育ち、東京大学に首席で入る
卒業後、官僚となって国を動かそうとするが、すぐに見切り、辞めた
そして安岡は日本の指導者を育てる塾を開いた
沖縄返還を実現させる佐藤栄作は、アメリカのケネディ大統領との交渉が控えていた
敗戦国の日本との会談時間は10分
安岡は佐藤に「戦いに勝ちては葬礼を以って之に処る」という言葉を贈った
戦勝国は敗戦国に対して侮るのではなく喪に服するように敬意を以って接しなさいという意味
「これをそっくりのそのままケネディに言えば、必ず食いつくぞ」
教えられた通り、佐藤はケネディーに話した
ケネディは、「そんな言葉を知っているのか?」と佐藤を一目置いて見る
そのうえで「この言葉を深く聞かせてくれ」
話を聞いていくうちに盛り上がり、当初10分の予定だった会談が、3時間を超えていた
そうしてケネディとの関係を築いた佐藤栄作は、後に沖縄返還を実現しノーベル平和賞を受賞した
●これだけの功績がありながら後世に安岡の名が残っていないのか?
安岡は古代中国の言葉を使ってこんな言葉を残している
「有名無力 無名有力」
有名になればなるほど注目され しがらみができ力を発揮しづらくなる
逆に無名であり続ければ陰から力を発揮し続けられるだろう
我々が安岡の名を知らないのは安岡の意図するところ
●天皇陛下の玉音放送
この天皇陛下の玉音放送の原稿作成に安岡が関わっていたと言われている
安岡がこの世を去るのは昭和58年、享年85歳だった
昭和の終わり、日本の未来は俺が死んだ後も幸せであり続けてほしいと、周りに言っていた
死んだ後も安岡が影響を残したのが「平成」
平成こそ、安岡が死の直前に提案したモノ
安岡が最期に残した言葉が「平和が成立する時代であってほしい」
●安岡正篤をアメリカから救った蒋介石
戦前、戦中も安岡は日本の指導者に影響を与えていた
GHQは安岡を戦犯として裁きたかった
敵国である中華民国のトップの蒋介石は安岡と交流があり、
「彼ほどの素晴らしい人物を戦犯にしてはいけない」とGHQを説得したという
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