東京大空襲では10万人以上の人々が亡くなった
1941年11月18日、空襲があった時に、
地下鉄を避難場所に使えないという政府の方針が発表された
国民は地下に逃げれば助かるのではという希望を持っていたが、
この方針によって希望が断たれた
空襲は怖くない、火事が起きたら国民で消すのだと戦意高揚を煽った
さらに「手袋をすれば焼夷弾も熱くない」「焼夷弾は恐れず消せ」と
ウソの情報を国民に植え付けていった
地下鉄は閉鎖され避難に使われることはなかった
●戦火を駆け抜けた奇跡の地下鉄
1945年、大阪にもB29が飛来した
13万戸以上の家が焼け、人々が逃げ惑った
逃げるところも隠れるところも無くなった
その時、閉まっているはずの地下鉄の入り口が開いた
中から「早く入りなさい」という駅員の声が聞こえてきた
中に入ると大勢の人々が逃げ込んでいた
そして朝方に地下鉄がホームに入ってくる
避難していた全員を地下鉄に乗せ、走り出した
梅田の駅は爆撃を逃れ、無傷だった
避難した住民は難を逃れることができた
しかしこの話は記録として一切 残っていない
政府の方針に反した行動は、記録には載せられない
助けられた人々が英雄の行動を言葉で伝えてきただけ
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