●米軍が最も恐れた最強の日本兵:船坂弘
太平洋戦争中、米軍が最も恐れたと言われる日本兵:船坂弘
船坂弘が派遣されたのは、硫黄島と並ぶ激戦地 パラオ諸島
・普通の人なら死んでしまう致命傷でも死なない
島を守っていた日本軍の数は1400人
対し米軍の数は15倍の2万2千人
米軍の攻撃によって味方がドンドン倒れていく中、
船坂はある日 米軍の砲撃を受け、
太ももの裏に25㎝もの傷を受け、瀕死の重傷を負った
駆け付けた軍医は、彼を見るなり手の施しようがない、諦めましょうと見放し、
味方はみな基地に帰ってしまった
船坂は夜通し這いつくばって基地に帰ってくる
そして翌日には足を引きずって歩けるまで復活
・1万人の米兵の中にたった一人で乗り込んでいく
船坂は三日三晩 這いつくばって米軍基地に潜入していく
しかし司令部のテントまであと一歩の所で米兵に見つかってしまい一斉に射撃された
船坂は首に銃撃を受け、ついに倒れてしまう
誰もが死んだと思われた船坂は、米軍の看護もあり3日後に蘇生
・米軍の捕虜になっても諦めない
蘇生した船坂は米軍の捕虜になったが、
看守の目を盗んで脱走し、米軍の弾薬庫を爆破させた
その後捕虜収容所に戻り、何事もなかったかのように朝礼に参加したという
・日本に帰国した船坂は本屋を経営
それが渋谷スクランブル交差点にある大盛堂書店
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