やりすぎ都市伝説で紹介
●幻の日本人 ノーベル賞受賞者
日本人初のノーベル賞受賞者は湯川秀樹
しかし湯川氏よりも はるか昔の明治に
ノーベル賞を受賞していたはずだった人物が、鈴木梅太郎
東京大学 東京帝国大学農学部の教授で、脚気の治療法を発見した
当時は原因不明の難病だった
結核と共に二大国民病と恐れられていた時代
むくみから始まり、徐々に麻痺、最終的には心臓を止めて死に至らしめる
日露戦争では戦死した兵士の数よりも
脚気にかかって病死した兵士の数の方が多かった
それほど一気に脚気が流行ったので伝染病ではないか?と疑われていた
それに対し、「これは伝染病ではない。栄養問題である」と主張したのが鈴木だった
その治療に必要な成分も突き止めた
それがビタミンB1、ビタミンは鈴木が世界で初めて発見した
発見したビタミンを基に治療薬を作り、多くの人命を救った
人類の救世主である鈴木梅太郎を、なぜ現代の人類は知らないのだろう
それほどの実績を残したらノーベル賞は間違いないはず
鈴木は、この発見を日本語で論文を書き、ドイツ語に翻訳してもらい世界に発表した
しかし翻訳してもらった際、大切な部分が抜け落ち、
所々 誤訳が発生してしまったため、上手く伝わらずにノーベル賞の受賞を逃した
その背景には、ドイツ式医学とイギリス式医学の対立があった
当時の主流はドイツ式、現在においても医学用語のほとんどがドイツ語
だがそのドイツ式医学こそが脚気を伝染病と主張していた
鈴木はイギリス式の流れを汲んでいた
鈴木が受賞して恥をかくのはドイツ式医学の権威たち
意図的に誤訳を指示していた可能性は否定できない
そうこうしているうちに鈴木は受賞はおろか評価もされぬうちに、この世を去った
あろうことか海外の研究者が後追いでビタミンを研究し、
のちにノーベル賞を受賞してしまった
悔しさが残る鈴木は、理化学研究所の創設者でもある
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