解決!ナイナイアンサーで紹介
●米兵の父に捨てられ極貧生活を送った秋川リサ
1952年、東京都渋谷区に生まれた
父はアメリカ人で米軍の技術者
決して裕福ではなかったが、仲睦まじい家庭だった
しかし秋川が物心つく頃になると、そこに父の姿はなかった
「ねえお父さんはどうしたの?」
「お父さんは戦争で死んじゃったの」
母は家計を支えるため夜はスナックで働いた
秋川はひとり母の帰りを待ち続けていたという
父は朝鮮戦争で死んだと聞かされていた秋川は、
歴史の授業で朝鮮戦争を習うと、年代が合わない事に気付く
「お父さんって今どきにいるの?」
沸き上がる疑念を抑えられなかった
すると「私たちは捨てられたの!だから私は好きでもない仕事をしてるの」
父は戦死ではなく秋川を捨て家族の待つアメリカに帰っていた
この頃から知らなかった母の一面が垣間見えるように
店は終わったはずなのに中々帰ってこない母、帰宅はいつも深夜
時同じくして稼いだお金で洋服やアクセサリーに使い始めた
ある日突然、ひと回り年下の男性を家に連れ込み、同棲を宣言
無職の男の為に母に変わって食事の世話
段々、母と秋川の家が男に支配されていった
母を守りたい、そんな思いから「男に出ていってください」と勇気を振り絞った
母が帰ってきた「あれ あの人は?」「出ていった。私が負い出したの」
「はぁ?なんてことしてくれたの。私の最後の幸せをあんたが壊したのよ!絶対に許さない。あんたなんか生むんじゃなかった」
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1967年、15歳となった秋川はモデルデビュー
19歳の時にはCMの専属契約が7社、パリコレの舞台にも立ち、
華々しいモデル人生を歩んでいた
私生活では21歳で結婚、全てが順風満帆
多忙を極める秋川のお金を管理していたのは母だった
しかし働いても働いてもいつの間にか足りなくなるお金…
秋川に残ったのは、母が買った洋服とバッグの山のような請求書だけだった
それでも母を咎めなかった
母の幸せを壊してしまった罪悪感…憤りはグッと押し殺していた
その後、秋川は2度の離婚を経験、40歳でシングルマザーに
その手助けをしてくれたのは意外にも母だった
秋川と母の関係は少しずつ修復されていったかに見えた
ある日のこと、「あたしの通帳がないの」
「そんなこと私に聞かれても分からないわよ。すぐ帰るから」
まるで泥棒に荒らされたかのような母の部屋
母はアルツハイマー型 認知症を発症
無銭飲食、夜の徘徊、そして排泄…厳しい現実が秋川を襲った
ある日、タンスの中を整理していた時、何冊かの大学ノートを見つけた
家計簿かと思って何気なく開いたところ、母の日記だった
認知症が発症するずっと前から書き綴った日記
そこには娘:秋川への罵詈雑言が並んでいた
“娘なんか生まなければよかった”
“娘の人生の為に私は犠牲になった”
“自由になりたい。家を出たい。みんないなくなれ”
その日記が綴られていた時期は、孫の面倒を見ていた穏やかな日々
現在、母を介護施設に預け、別々に暮らしている
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