爆報!THEフライデーで紹介
●ムード歌謡の女王:松尾和子 転落人生の末の転落死
昭和の名曲「誰よりも君を愛す」が100万枚の大ヒット
この曲で松尾は第2回 日本レオード大賞を受賞
1958年、ジャズドラマーと結婚
その1年後には「東京ナイトクラブ」で歌手デビュー
1963年、一人息子である長男が誕生、幸せの絶頂だった
しかし1966年、夫の女性問題を理由に わずか8年で離婚
息子を養うため、仕事を増やした松尾は、歌だけでなくバラエティ番組への出演も始めた
それは同時に子供との時間を奪う結果に
小学生だった息子に松尾が選んだ愛の形は…出勤の度に1万円を渡す
欲しがるものは全て買い与え、惜しまず金を使った
その結果、「ママが結婚するなら僕は死んでやる」と母を自分のモノと勘違いし始めた息子
しかし松尾は「うれしい。この子は私がいないとダメなのね」
ママは僕のモノ、息子は私のモノ…お互いに離れられない関係に
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そして息子が高校生になる頃には2人は異常な親子関係になっていた
息子はタバコを吸い始めていた
普通の親なら厳しく叱る筈、しかし叱るどころか進んで灰皿を用意した
さらに息子が当時 流行していた暴走族に入り、家にも帰らず夜遊びを繰り返していると知れば、
息子がいるたまり場に足を運び、止めるよう説得するどころか、息子と一緒に暴走行為まで経験
息子への過剰な愛は、最悪の結果を招いてしまう
高校を卒業し成人した息子は、毎晩のように高級クラブに入り浸り、豪遊を繰り返すようになる
支払いは全て松尾のクレジットカード、請求額は月に5000万円にも上った
さらに息子はろくに経験もないままクラブ経営、カラオケのリースなど事業に乗り出す
開業資金を支払ったのは、もちろん全て松尾
その総額、8000万円
しかし事業はことごとく失敗し、倒産を繰り返した結果、雪だるま式に負債が増え、松尾にのしかかった
さらに不幸は重なり、当時 松尾の経営していたブティックも経営破綻
松尾の負債はわずか2年で7億4千万円
その結果、4億円の自宅を抵当に入れ、賃貸住宅での生活を余儀なくされる
1991年11月、息子が覚醒剤取締法違反で逮捕
全国指名手配され10日間 逃亡した末の逮捕だった
「色々反省しています。私の教育の仕方が悪かったんじゃないか。過保護すぎたんじゃないか」
と松尾は会見で語っている
懲役2年の実刑判決を受けた
マスコミは松尾に対し、息子への過保護ぶりを書きたて、大バッシングを始める
その結果、松尾は昼のワイドショーなど、全ての仕事を干され、収入が激減
毎日のようにマスコミから追い回された松尾は、体重が1ヵ月で7キロも減少
全てを失った彼女は精神が不安定となり、酒と睡眠薬を手放せない生活となる
そして自殺未遂…
そして息子の逮捕から1年後、
1992年9月25日、松尾和子が自宅で階段から転落し死亡
マスコミは自殺ではと報道したが、その真相は…違うものだった
獄中の息子に空いている日 ほぼ毎日 手紙を書いていた松尾
息子の逮捕から松尾が亡くなるまでの180日間で書いた手紙は119通
その内容は息子への懺悔と叱咤
そして死の前日 1992年9月24日、最後の手紙には…
“高円寺に30年ぐらい前の話ですが、お墓を買いました。小さくても買ってといて良かったとツくづく思います。松尾家は皆 高円寺のお墓に入るのですからね。体に気を付けて頑張ってください。では又ね 母より”
この手紙によりその死が、自殺でないことを物語っていた
2年後、出所した息子がまず向かったのは、松尾の墓
まっとうに生きる事を松尾の墓に誓った
2011年、息子は病死し、松尾と同じ墓に入った
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