●幻のオリンピック作戦
1941年12月、真珠湾攻撃により太平洋戦争開戦
アメリカの化学戦統轄部隊は日本に対する毒ガス戦の準備に入った
化学戦統轄部隊:ウィリアム・ポーター長官によると
“毒ガスの適切な使用は戦争を早く終結させ、多くのアメリカ人の命を救うことが出来る”
1944年8月、化学戦統轄部隊によるサンホセ島 毒ガス実験
行ったのはイペリットを装填した化学砲撃砲の実験
その頃、日本軍は太平洋各地で敗走を繰り返していた
1944年1月、大本営の電文によると“敵に刺激を与え化学戦を誘発するがごときは極力いましむべき”
1944年7月、サイパン玉砕し、東条英機は毒ガスの使用を禁止する
その電文を傍受した記録は、ルーズベルト大統領にも伝えられた
しかしアメリカは、日本での本土決戦に向けて毒ガス作戦の準備に突き進んでいく
1945年4月、アメリカ軍が沖縄に上陸
洞穴にこもって抵抗する日本軍に手を焼き、5万人近い死傷者を出した
太平洋地域で毒ガスを使用する事にアメリカ軍部は反対だった
ドイツ軍が連合国側に毒ガスを使用する口実にされると危惧したから
しかし1945年5月、ドイツが降伏すると日本に対する毒ガス戦線使用への障害はなくなった
アメリカ軍は日本上陸に備えて、防空壕攻撃のリハーサルを繰り返していた
日本軍の防空壕に見立てた洞窟に効果を測定する実験動物を配置
訓練ではB25から毒ガスを散布
1945年11月1日からオリンピック作戦(九州上陸作戦)を開始する事となった
マーシャル参謀総長はオリンピック作戦での毒ガス使用を明言
航空舞台は毒ガス攻撃により毎日、40平方マイルを汚染
九州の地図には具体的に33の毒ガス攻撃のターゲットを列挙している
1945年8月1日、毒ガス弾の船積み命令が出された
1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下され日本は降伏
毒ガス攻撃はギリギリところで回避された
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