●諫早湾干拓事業の失敗を池上彰が解説してくれた
1950年代、終戦直後 食糧不足だった時代
お米をたくさん作らなければいけない、
とにかく農地を増やそうと全国で適した場所を探していた
堤防で区切り海水を抜く干拓に適した干潟が諫早湾にあった
そこを田んぼにしてお米を作れば食糧不足が解消できる、が発端だった
潮が引くと東京ドーム600個分以上の泥の湿地が現れる
●走りだしたら止まらない公共事業
堤防の総事業費は当時の金額で1350億円
お金をかけても当初の予定通り、田んぼを作ればよかったのだが、
1970年代、日本中でコメが余り生産量を減らす減反政策を推進
それにより諫早湾の目的は消失したが、
諫早湾干拓事業の計画は中止せず、目的を米作りから畑作りに変更
役人の世界では前任者が決めた事を後任者が覆すことが出来ない
工事を期待する建設会社、それを介して地元にお金が落ちる、
政治家としては続けざる得ない状況となる
目的を変えるくらいなら作るなと反対者が続出した
そこで国は畑作りに、高潮や大潮から守る防災という目的を付け加えた
●作ってみたら予算オーバー
1950年代に計画が始まった事業費1350億円
しかし作ってみると2530億円も予算がオーバー
物価が上がっただけでは説明がつかない着工優先の低い予算設定が原因
したがって工事が始めると、ズルズルと予算が増え税金を投入し続ける
1989年に着工、1997年4月14日に潮受け堤防の水門が閉じられた
海水を抜き畑を作り、国をあげて新たに農家を呼び込んだが、
堤防の外で、貝が死滅したり海苔の色が落ちたりといった漁業被害が出始めた
漁業者側は「干拓によって海の環境が悪化した」と主張
●矛盾した法廷裁判
2002年、漁業者側が「調査のために門を開門しろ」と裁判所に提訴
福岡高裁は「調査のために5年間 開けて調べなさい」と判決
当時の総理:菅直人は干拓工事に反対していたので上告しなかった
農業側は「塩害を受ける」と長崎地方裁判所に訴えた
長崎地方裁判所は「開けたらダメ」と決定
開門しない国に対して、
福岡高等裁判所は「開けないのなら1日49万円ずつ漁業者側に払いなさい」と判決
現在、国は最高裁に抗告
農業側も国に提訴し「もし開けたら農業側に1日49万円払いなさい」と判決が出た
ちなみに開門する追加建設費は349億円
スポンサーリンク
コメント